八月十五日に想う、戦後73年目の日本の「損益計算書」

ご無沙汰です。夏コミが終わっても一段落とは行かず、9月9日には文学フリマ大阪、11月25日には文学フリマ東京が控えており、原稿執筆と編集作業に追われながら、夏の太陽にじりじりと身を焦がされて生きております。ああ、暦の上ではもう秋でしたね。この酷暑のどこが秋だこの野郎

さて、本日はいわゆる「終戦の日」でありまして、まぁ人に拠っては「敗戦日」とおっしゃる方も居られるわけですが、幾分オブラートに包んだ表現が前者、明確に表現したのが後者だ、と言う程度の区分けでしかありゃあしません。そこに本質的には差がないのであります。

だいたいテレビメディアも、八月と言うと思い出したように戦争の話題をするわけですね。そのことは良いと思います。ただ、毎回何かにつけて私主張しているんですけど、「反戦」の筵旗を掲げる皆様は至って情緒的なのですよね。そう言った方々は概ね「戦争はダメだ、戦争は良くない」と、まぁその部分だけを取り上げれば何の非の打ち所もないことをおっしゃられるんですけれども、その根源になっているものが「戦争体験」なわけですね。

最早戦後73年に垂んとするするわけですが、現在そうした戦争体験をお持ちの方は、当然の如く御高齢になられました。思い返すことさえ辛いかつての戦火の記憶を、語り部のように語り継がねばならない、あの歴史を風化させてはならない、反戦の灯火は我等とともにあらんと言う、強固なご意思の下で戦時下に居られた皆さんは語り継いで来られました。その思いを察するには余り有り、恐懼に堪えません。

……が、ですよ。では、こうした「戦争体験」と言う原体験から来る情緒的な反戦スタンスと言うのは、このまま行くと

間違いなく風化するんじゃないですかね。

要するに実体験としての戦争体験と、一次資料としての戦争体験と言うのは格段に温度差が有るわけですよ。更に言えば、一次資料と言うのは証拠能力が著しく低いんですね。当然苦しい思い辛い思いをなすった皆様が残してくださっている一次資料ですから、史料としての価値は有るのですけれども、例えばそこに科学的な反証可能性を有しているのか、裏付けとなる文献は他に存在するのか、そう言ったことに対して、実体験としての戦争を伴っておらずに、ただただ情緒的に繰り返されてきた「戦争反対」と言う意思にふわふわ乗っかってるだけなんですよ。多くの戦後派の反戦活動と言うものが。

だから、本当に大東亜戦争――こういうと眉を顰める人、多いですよね。アジア・太平洋戦争と言えと。でも、その議論は瑣末に過ぎます。そして、言うなれば「旧軍の用語をそのまま用いるのは、先の戦争を美化礼賛する行為だ」みたいにおっしゃる方、それは被害妄想です。ね、特になんの理屈もなく一方的に相手を低く見て侮蔑する、その姿勢は

戦前の多くの日本人そのものなんですよ。

あなた方が蛇蝎の如く毛嫌いするそれとまったく一緒ですよ。少し冷静になってはいかかですか。ああ、逸れましたね。で、大東亜戦争です。

戦争と言うのは、第一次世界大戦より爾今「総力戦」と申しまして、言い換えれば「殲滅戦」とも称するわけですが、強烈な消費と消耗の行為なんですよね。当然大東亜戦争も然りだったわけです。やれば大方負けは見えている対米戦争、英蘭のおまけ付きと言う戦局に、そうでなくとも中国戦線まで抱えた状態で突入したことは、まぁ概ね無謀の極みと言うことにならざるを得ないんでしょうけども、事此処に至るまでの間に政治的な意図を持った策動がなかったわけがないんですね。つーか事実有るんですけども、なんかそういう部分を意図的に隠蔽しているのか、それとも本当に見えてない視力は健全なのに都合の悪いことだけ見えない目の不自由な方なのかは存じ上げませんけれども、とにかく情緒的に「戦争はダメだ、軍隊はいらない、憲法9条護持!」とおっしゃられる。そんなら私も、きっぱり言おう。

これが戦後73年、日本の払ってきた損でないなら、なんだ?

こういう「情緒的な反戦運動」がもたらしてきたものが日本の反戦思想の主流かつ源流だと言うのなら、そんなものあと20年も経ったら100%風化するだろうと言う計算くらいしなさいっての。

そうじゃないだろ、違うだろ。あなた方をして反戦に向かわしめているのが戦争と言う外交局面の最終にして最悪の解決手段がいかに不合理で、無駄で、あらゆる意味で損害を為すのか、と言う合理的な反戦思想ではなくて、結果としての大東亜戦争しか見ていないのが問題だと言っている。

私も戦争なんか大反対だ。あんな経済の、人材の、国力の無駄遣いになる行為をしかもてめぇから仕掛けなければならないなんて冗談じゃないよ。ああ良いかい、ここ重要よ。「てめぇから仕掛け」られないようにしたのが憲法9条であって、9条自体が国際安全保障のスキームの中で果たしてる役割などと言うものは「日本はもう侵略戦争をしません」と言う片道切符の保障でしかないの。

科学的に考えて。抽象的過ぎる? じゃあ論理的に考えて。感情的に、情緒に訴えるだけの反戦教育で終わってしまうのは、本当にもったいない。更に言えば先の戦禍で亡くなられた皆様に申し訳が付かない。いいかい、情緒的な反戦教育がダメだと言うんじゃないんだ、

それだけで終わってるのが片手落ちだと言ってるんだ俺ぁ。

現代の日本国民の「安全保障」に対する意識を欠落させたのは、明らかにこの73年の間で生じた損害であると断ずる。


先の戦争にて犠牲となった、世界中のすべての地球市民に、謹んで哀悼の意を捧げます。



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