ペンネームのこと。
見ればわかるが、私の本名は「紗水あうら」ではなく、筆名に過ぎない。
古来より「名は体を表す」と言うが、私と言う人間は「紗」のようにデリケートでもなければ、「水」のように不定形でもない。字面が柔らかいから一見すると女性的な雰囲気も醸すが、残念ながら男だ。まぁ、そういう誤解の生じないような文章を書いているから、特に問題にはならんだろう。
由来は、と言うとこれもまた大したことではない。私はゼロ年代の末期に「アイドルマスター」と言ういまや有名コンテンツとなったゲームと、割とどうでも良いきっかけからお付き合いが始まった。その中に登場する「三浦あずさ」と言うアイドルの名前を並び替えただけだ。アイマスの話もまぁ、追々するかも知れないが、別段それを楽しみに来る読者もまぁ居まい。
ペンネームはこれまで幾つ使ってきたか、覚えていない。物書きめいたことを始めたのはもう三十年ほど前、私がまだ中学生の頃からであるが、そもそものきっかけと言うのは割と不順であった。
そのくらいの年頃の子供は、自らの描いた空想の世界と言うものを何かのかたちで表現したい、と思い始めるに相応しい頃合いで、私の場合はマンガで描きたかった。とは言え子供時分からそれほど熱心なマンガ読者ではなかったし、当時からすでに「作家で読む」と言う悪癖に手を染めていたものだから、同級生らが先を争って読むジャンプやらサンデーやらをどこか軽蔑していながら、私はどちらかと言えば繊細なタッチの中に生々しく人間関係を残す少女漫画のほうが好きだった。もっとも、それと同時に
「女性って怖いな……」
と言う恐怖症めいた幻想を抱くことにもなるのだけれど。
だがまぁ、絵の才能についてはてんで無いようで、それは薄々時分でも気付いていたことなのだが、自らの画才と理想がいくらか取っ組み合いの喧嘩をした結果、画才が白旗を揚げたので私は潔くマンガと言う野望を諦めたのであるが、作文能力は絵画力よりは人並みに近く有るように錯覚していたので――いや、これは現在進行形で「している」のだが――あっさりと作家志望の少年文士が誕生した。
とは言えこの少年文士、中学生の当時は活動らしい活動は何もしていなかった。と言うより、どうすれば作家になれるのかさえわかっちゃいなかったし、芥川賞も直木賞も公募のコンテストだと思っていた頓珍漢である。どうすれば良いんだろうかと、東北の片田舎に住む紗水少年は考えた。
「そうだ、学校に文芸部が有るじゃないか」
そのことを思い出した紗水少年は、翌日の放課後徐ろに国語の担任教師に向かって切り出した。
「先生、俺、文芸部に入りたい」
「文芸部? ……ああ、そう。それは残念だったわね」
「残念?」
「去年の卒業生を最後に部員がいなくなったから、もう廃部されたのよ」
……はぁ。それはそれは。
そこで「それなら俺が文芸部を復興する!」と言うような気概もないし、そもそも部活は別に入っていたし、兼部制度みたいなものも取り立てて存在しなかったから、部活がないのなら自分一人でどうにかするよりない。だが、それからしばらく、紗水少年は少年文士としての活動を休止してしまう。なぜなら、別の面白いことを見付けてしまったからである。
それが「政治ごっこ」だった。
――次回「政治ごっこのこと。」