見出し画像

第11回(最終回) 新たな物語の始まり

 こうして、私が生まれて初めて出版する本の物語は幕を下ろす……はずでした。
 しかし、物語はさらに続きます。

 『さわり』は朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞の大手4誌の書評に取り上げられ、それぞれに好評を得ます。
 それもあってか、1度ではありますが、無事、版も重ね、本を読んだ取材協力者の方々からも感謝されました。

 ただ1つだけ、叶わない願いがありました。
 それは、日本が誇る伝統芸能「琵琶」の魅力をより多くの読者に伝えて、若い琵琶奏者を少しでも増やしたいという願いです。
 本が出ても、なかなか若い琵琶奏者は増えませんでした。無力感を抱えたまま、時は過ぎていきます。

 『さわり』が出版されてから8年余り経った2020年2月のある日、FBに知らないひとからメッセージが届きました。
 このメッセージにより、新たな物語の幕が上がります。

 メッセージは朝日新聞出版の編集者K氏からでした。待ち合わせた喫茶店で、初対面のK氏は私に言いました。
「佐宮さんの『さわり』をうちから文庫で出版させてもらえませんか」
 K氏は、なぜ自分が『さわり』を文庫化したいと考えるようになったのか、その経緯を話してくれました。

 K氏は、国文学者で千葉大学名誉教授の三浦佑之氏に本を書いてもらいたいと考えて、著書はもちろん、雑誌に寄稿した記事まで読んでいました。ちなみに三浦氏は三浦しをんさんのお父様です。
 三浦氏が読売新聞に書いていた書評を読んでいたとき、K氏は『さわり』についての書評と出会います。ふだんは辛口の批評の多い三浦氏が、珍しく誉めていたので興味を持ったK氏は、早速『さわり』を入手して読みました。

〈さすがに三浦先生が褒められただけのことはある。これは面白い!〉と思ってくれたそうです。

 K氏が調べてみると、『さわり』はほぼ絶版状態でした。そこで著者の私に連絡して、朝日新聞出版で文庫化したいと伝えてきたのです。
 文庫になれば、また鶴田錦史の偉業と琵琶の魅力を伝えるチャンスが得られます。私は快諾しました。
 しかし、K氏の熱意は惜しくも届かず、企画会議を通せず、結局、出版には至りませんでした。

 その報告を聞いて、私は決心しました。
「もう一度、イチから書き直そう!」

 『さわり』については出版当初、一部の人たちから不満が寄せられていました。
 主人公の鶴田菊枝(本名)は雅号を「欷水」「櫻玉」「錦史」と変えます。ほかの琵琶師もたくさん出てきますし、琵琶の歴史や昭和史の解説にも多くの人名が登場します。さらに証言者十数名も実名で出てくるため、読んでいて誰が誰なのか、頭がこんがらがってしまうというクレームでした。

 『さわり』の出版で証言者には恩返しできました。琵琶の歴史に関しても正しい記録を残せました。そこで、書き直す原稿では登場人物を数人に絞り、証言者にも言及しないことで、より鶴田錦史と水藤錦穣という2人の女性の人生に読者が集中できる書き方へと変更したのです。

 視点を変えて、膨大な資料を読み返すと、『さわり』に採用しなかった重要な情報にも気づけたので、それらを生かしました。時間軸を整理して、構成も変えたので、書き直した原稿は『さわり』とはかなり異なる印象の物語となりました。

 今度こそ「理想的な書き方」と思えました。

 ふと、鶴田錦史の伝記の執筆を私に依頼した編集者が、一字も赤字を入れず、私に原稿を突き返したときの言葉を思い出しました。
「最初に約束しましたよね? 一般的な女性読者が楽しく読める本にしてくださいって」
 いまなら自信を持って答えられます。
「はい、やっと、あなたとの約束を果たせました」

 あとは、この書き直した『さわり』を本として出してくれる出版社を探すだけでした。

 「また本として出したい!」と強く願ったのには訳があります。
 この頃、『さわり』は悲しい状況にあったのです。

 Amazonや「日本の古本屋」その他の古書を扱うネットショップで、『さわり』を検索すると、定価の1600円以上、ひどいときには法外な値段で出品されていました。仕方なく高値で買おうとしても、どれもみな「在庫なし」でした。
 いつの間にか『さわり』は、望んでも手に入らない希少本になっていたのです。

 「読みたいから売ってほしい」とよく言われましたが、著者である私自身、数冊しか持っていません。

 小学館との契約では、もう別の出版社から出してもよくなっていました。加えて構成も変え、内容も変更していたので問題ないとは思いましたが、念のため小学館の担当者と「ほかの出版社から出しても良い」という覚書を交わしました。

〈読みやすさもエンターテインメント性も高めた新たな物語で、もう一度、鶴田錦史と琵琶の魅力を少しでも多くの人に伝えたい!〉
 そう思っていた矢先、小澤征爾さんの訃報が届きました。

 数日後、K氏が電話をかけてきました。
「小澤征爾さんが亡くなられました。彼が世界に名を馳せるきっかけとなった『ノベンバー・ステップス』を小澤征爾さんと武満徹さんと鶴田錦史さんと横山勝也さんの4人がどうやって創り上げて、ニューヨークでの初演を成功させたのか、詳細に紹介している『さわり』をいまこそ多くの人に読んでほしいと思いました。どうか、もう一度、私にチャンスをください!」

 私は言いました。
「チャンスをもらうのは私の方です」

 こうして『さわり』は全面改訂版『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』として生まれ変わり、2024年8月7日(水)、朝日新聞出版から朝日文庫として出版されることになったのです。

 2つの本の誕生物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。
 私の体験談が少しでも「本を出したい!」と思っておられる方々の参考になれば嬉しいです。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?