手頃な有名人よ死にたまへ。


あぁ手頃な有名人が死んでくれたらなぁ。
  人間、泣くことを求めてる。だから泣ける映画とか、泣ける小説なんてのがキャッチコピーになるわけだ。
   手頃な有名人が死んでくれたら。「えっ、テレビでよく見かけた、名前を言われればパッと顔を思い浮かべることができることが出来るぐらいには
知っている、別にファンでも憧れの人でもないけれど、どちらかというと好ましい印象を抱いていた彼が、亡くなった…?そんな…」そういう風に泣きたい。そういう風に泣いて、1日ほど うーん とか、えー とか言ったあと、特段それを引きづることもなく日常生活に戻りたい。少しスッキリした気分で、戻りたい。
 今こうやってくだらない文章をぐだぐだ書き連ねている間にもどこかで誰かが死んでいる。そこには、死者に関係するたくさんの人々とのドラマがあって、喜怒哀楽があって… 知らねぇよ。何なんだよ。新幹線。超高速で駆け抜ける窓の向こうに建ち並ぶ家の一軒一軒にそれぞれの家族のドラマがあって、喜怒哀楽があって… だからマジで何なんだよ。どうしろって言うんだよ。知らねぇよ。関係ねぇよ。
俺も誰かから見れば、というかこの世の「全員」と言って差し支えないほどの数の人間から見れば、生きようが死のうがどうでもいい存在なんだ。じゃあ俺じゃなくてもいいんじゃないか?俺がここにいて俺としての人生を歩んでいるのはどうして?くだらん!
  手頃な有名人よ死にたまへ。お前は生きても死んでも意味があるんだし。

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