日本語教師コラム:#7日本人だから日本語を教えられるわけではない
こんにちは、Samieです。
今回は日本人だから日本語が簡単に教えられるわけではないよ、という話です。
これは私が日本語講師を始めたばかりの頃に、日本人だから日本語教えてって言われても出来るだろう!と思っていたからこそ先生になってたくさん苦しんだ話です。
そうです。私は日本語の先生を舐めていました。
そもそも私は文学部出身で、学生時代は毎月いくつもレポートを書いて、日がな一日ずっと本を読んでいました。専攻は民族衣装だったので、ゼミでも江戸時代のファッション雑誌を古語で読み漁るというものです。
加えて、語彙読解力検定や漢字検定も準一級を持っていましたし、日本の歴史の研究(完全な趣味)で日本全国旅をしたり、着物や古典芸能も勉強し、毎月着物を着て歌舞伎や落語を観に行くような学生だったんです。
卒業してからもニュースの会社で社内記事を書いてはなんとなく褒められるような生活を送っていました。
なので、薄っぺらい根拠で日本語や日本文化なら外国人に教えられるだけの知識は持っているだろうと思っていたんです。日本語というものを勉強したことは一度もなかったにもかかわらず。
しかし、実際に外国の方達に日本語を教え始めて数え切れないくらいの壁にぶつかり苦しんできましたね。
例えば「分からない」と「知らない」は何がちがますか?という質問や、「苦手」と「下手」は何が違いますか?や、今日なぜ一つの漢字にたくさんの読み方があるんですか?などの基本的な日本語のルールはまるで知らなかったんです。
日本語教育能力試験の勉強も一度したことはあります。
しかし正直、資格を取るわけでもないからと途中で諦めてしまったというどうしようもない私です。
いまだに毎日、生徒さんからの思わぬ質問で頭を抱えてしまうことがあるほどです。
しかし先日20年ほどフランスで日本語の先生をされていた方とお話しする機会がありその話をしました。
その時に言われた言葉が印象に強く残っています。
「日本語教師に向いている人って日本語の知識がたくさんある人でも、教え方が上手い人でもなくて、日本語がわからないって言う生徒さんにいかにして分かってもらえるかを工夫できる人ですよ。少なくともSamieさんは覚えてもらうために絵を描いたり、ゲームを作ったりしているでしょう。それでいいんです。もし日本語の説明が下手でも、生徒達はそうやって頑張っている先生を見て幻滅しません」
確かに、もし私が生徒の立場であればスマートに授業をする先生よりも、少しわかりにくいけれど何度も何度も必死で教えてくれる先生の方が記憶に残る気がします。もちろん相性もあるとは思うのですが。
もちろん基本的な知識をちゃんと持っていることも大事だと思います。しかし、それがなくても生徒さんに分かってもらえるように工夫したり、チャレンジが出来る人の方が先生に向いているのかもなと最近思ったのでした。
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