例え話が古い、件。
指を鳴らすポーズは、ポール牧。
こっそりと見守る姿は、明子姉さん。
これ、わたしだって、リアルタイムに経験したわけではなく、
子どもの頃に「懐かしの・・・」みたいので見たりとか、
人生の先輩がそう言っていておもしろかったとか、
それだけなのに、いまだに口をついて出てしまう。
青春時代はおそらくそんなことを言って、みんなに笑ってもらっていたんだろう。
いつまでも、そこはアップデートされぬまま、平気で人生の半分ほど同じ例えを使い続けていた。
次男が幼稚園児だった頃は、まだその例えを言ってしまったとしても、拾ってもらえることがあったが、
ついに、三男のお友達のお母さん方には、本気で通じないことが多々あることに気づいてしまった。
それは、本気で 「通じない」 。
やさしい人は、
テレビですか?
ごめんなさい、わたし、テレビあんまり見ないから疎くって、、、と言ってくれた。
いや、言わせてしまった。
これは、恥ずかしい。
こちらこそごめんなさい、分かるわけがない。
ヘタしたらひと回りくらい年齢が違うのに、わたしですら古いと思う例えを当然のように言ったところで通じない。
テレビをあんまり見ないといっていたあの人は、
指を鳴らすポーズは、ゲッツ!
こっそり見守る姿は、ひょっこりはん。
と言っても、ごめんなさい、と言っただろうか。
いや、もしそれで分かってくれたとしても、わたしはその例えに納得できない。
自分がしっくりこないのだ。
恥ずかしいので、通じない例えが口をついて出ないよう、以前より調子に乗らないよう努めている。
思っても、心の中でとどめる。
ただ、受け止めてくれる人の前では、やっぱり言ってしまう。
そして、最近の人は本当に通じないから気をつけてる話、まで聞いてもらってしまう。
昭和は長かったから、昭和の人としてわたしも勉強したんだ、くらいのことまでも言ってセットで慰めてもらう。
めんどくさい人、ってやつか。
それでも懲りずに、
人やキャラクターの例えってのは、時代が関係してしまうから危険だな。
現象を現象に例えるなら、伝わりやすいな、なんてことを考えながら、
日々例えたがる自分がいる。
懲りない人、ってやつか。
でも、すごい瞬発力で例えが成立したとき、あれ、嬉しいんだよな。