見出し画像

世界は五分前に出来たって知ってた?

世界は5分前に構築された。それ以前の記憶は植え付けられたもので、出来事も構築される過程で"あった事になった事"と定義付けるのだ。私はこれに幾度となく助けられている。たとえば、何か失敗したことを思い出してしまう時、(いや、世界は5分前に作られたものだから、今抱いている感情は作られたものであり私の記憶も5分前に作られたものなのだ)と考えると自分の感情が自分の感情でないような気がしてきて、気が楽になるのだ。過去の失敗も成功も私の脳裏に植え付けられた記憶であり、皆5分前に作られた記憶と出来事の口裏を合わせているだけに過ぎないのだ。"あった"という事になっているものの連続で、私の犯したあの失敗も、諍いも、戦争も、あの人の死も、すべて世界が作り出したものに過ぎないのだ。たまに、辛い出来事を受け止めきれなくてこれはもう一人の自分がやったことだ、と思い込む人がいるが、その一種だと思っていい。私は私が行った失敗ではなく私が起こした"ということになっている"失敗が起きた、というように世界そのものを認識しているわけだが。
この世界では、習得した技術も知識も世界を構築した際にインストールされたものである。ゲームをセーブしていた地点からプレイするような感覚で人生をしている。この魔法が、たまに切れる時があって、人生という重くて辛い現実が急に質感を伴って迫り来る時がある。それが過ぎると、私はまた人生にログインしてプレイを進めるのだ。ただし、セーブデータ前の自分は自分であって自分でない状態で。私が行ったことなのだから、責任を持てないことも多い。なんでこうなったんだ?とよく分からないことも多い。しかし、プレイしている時は私の行動が影響してくるので必死にコマンドを選択していく。気付かないうちに世界は5分前に構築されていて、私は私でない誰かが習得した技術でやっとのことで人生をプレイする。必死に、失敗しないように。そうして誰かが繋いできたバトンを常に繋いでいるのだ。
これに気付いたのは、辻褄合わせて作られたはずの世界の綻びに気付いてしまったからだ。ああ、世界の隅を塗り忘れている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?