水の音の中で───第10話
10-1
◯大学、教室(昼)
葉月「うい」
久弥の隣席にやってきて、机上にパック飲料を置く
久弥「──……」
無言で葉月を見上げる
久弥「…なんで?」
葉月「こないだ
食欲ないって言ってたから」
言いながら隣の席に腰掛ける
葉月「鉄分でも
足りてないんじゃないかと思って」
久弥「──……」
パック飲料を手に取って眺めながら
久弥「食欲と鉄分って
関係あるんだっけ」
葉月「え…(動揺)」
葉月「…それは分かんないけど(決まり悪そうに)」
久弥「(笑って)っ…
なんだよ それ」
葉月「っ…(ニコニコと満足そうに笑う)」
久弥「(怪訝そうに)なに…
…ニヤニヤして」
葉月「別に?
元気そうだから」
葉月「ちょっと安心した」
言って久弥から視線を外し、正面を向く
久弥「──……」
葉月の横顔を見つめる
久弥M「冷たくする?
気のない返事ばかりして──
わざと遠ざけてみる?
モヤモヤしたから
嫉妬したから」
久弥M「傷付きたくはない
これ以上──
深みに嵌りたくないから
だから冷たくして
敢えて嫌われるような態度をとって──
フェードアウトして
初めから
なかったことみたいに──」
久弥「──……」
机上のプリント、葉月に教える際に書き込んだアンダーラインを見つめる
久弥M「消していく
俺との関係を」
久弥M「そんなこと──
出来るはずないよな
お前に
それは俺が
お前のことが好きだからとか
そんなのが理由じゃない
ただ お前が “こういう”奴だから
こういう──」
久弥「──……」
久弥、机上のパック飲料を指でなぞって
久弥M「馬鹿みたいに真っ直ぐな奴だから
だから──
誰もお前を
邪険になんて出来ないよ
どれだけ棘のついた鎧で
心を覆ったとしても
その優しさに触れるたび
全部 溶け出していく」
久弥M「もう何も期待しないようにと──
そんな冷たい鎧に
覆われていたのに
今は自分の心に
確かに “温度”を感じる
だから出来るはずもない」
久弥「──……」
机上に視線を落としている隣の葉月を見つめる
久弥M「そんな卑怯なやり方で──」
久弥と葉月、並んで座っているふたりの背中
久弥M「お前から離れていくなんて」
10-2
久弥M「だから これまで通り
適当に
友達として
…あの日──」
× × ×
(回想)
旅館にて、久弥を抱いて眠る葉月
久弥M「あの瞬間の
背中の “温度”なんか──
すっかり全部 忘れて」
× × ×
◯学食、席スペース(昼)
久弥M「ただ “少し”
仲の良い友達として
…いたいって──
俺だって そう思ってるよ
思ってるのに」
同じテーブルで食事をしている久弥と葉月、クミの3人
目の前のクミと楽しそうに談笑している葉月
その様を横目で眺めている久弥
久弥M「目の前でお前が──
ほかの人を想っている姿を
見ることは
自分では もう──
どうしようもないくらい苦しくて」
久弥「──……」
手持ち無沙汰な様子
食べるでもなく、ぼんやりと食事の残る皿を見つめている
久弥「──……」
自分の手元、葉月から貰ったパック飲料に視線をやる
久弥、思い立ったように、残っていた食事を一息に口に運んでいく
葉月「いや 大丈夫かよ…!」
葉月「そんな一気に食って…」
葉月「…胃は?(心配そうに)
食欲ないんじゃなかったの」
久弥「っ…」
思わず顰めっ面になり、水で飲み下す
貰ったパック飲料を手に取って
久弥「大丈夫だよ
これ あるから」
言いながら席を立つ
葉月「え?
いや “これ”って…」
久弥「じゃ お先」
言うなり去っていく
葉月「あ おい…!
久弥──」
離れていく久弥の背中に、届かない声を掛ける
* * *
久弥「──……」
真顔で歩いていく
久弥M「大丈夫だよ
ここまでの間に──
お前のくれた “情”があるから」
× × ×
(回想)
図書館にて、延滞されている本についてぼやく久弥と、それを聞いている葉月
× × ×
島へ向かう船上、海面に浮かぶゴミを見つめながら話すふたり
× × ×
島の店先にて、奢ってやった食べ物を差し出す葉月
× × ×
旅館にて、久弥を抱いたまま眠る葉月
× × ×
(回想終了)
さらに歩いていく久弥、パック飲料を握っている手元の画
久弥M「それがあれば
それだけ持っていけば──
きっと俺は大丈夫だよな」
10-3
◯屋外、キャンパス内の道
久弥、パック飲料にストローを刺し、飲みながら歩いていく
◯(回想)屋外、キャンパス内の道(昼)
久弥と葉月、ふたりしてベンチに腰掛け話している
ふたりの間にはプリントが広げられている
葉月「(プリントに視線を落としたまま)名前の由来なんてさあ──」
葉月「そんなの小学生時分で
終わりじゃないの?(不満げ)」
久弥「言語学だから
しょうがないだろ」
久弥「むしろ
めっちゃ楽な課題でしょ」
久弥「何がそんな嫌なの」
葉月「(不満げな顔のまま)…俺 自分の名前
好きじゃないんだもん」
久弥「──……」
葉月の横顔を見ている
久弥「なんで
綺麗な名前じゃん」
久弥「俺は好きだよ」
葉月「──……(久弥の顔を見る)」
葉月「お前がそう…
スッと褒めるとさ──」
葉月「なんか気持ち悪いよな」
久弥「…は?(ムカッとして)
お前──」
葉月「はは──
冗談だって」
葉月「そりゃ “綺麗”だよ?
綺麗だとは思うけどさ──」
葉月「でも女の子みたいじゃん」
葉月「それこそ
お前みたいなのだったら──」
葉月「しっくりくるかも
しんないけどさ」
久弥の横髪を手で避け、顔を見るようにして
葉月「──……」
久弥「──……」
見つめ合うふたり
葉月「…ごめん」
久弥「(軽く笑って)っ…
なんで謝んの」
葉月「……
“なんで”って…」
思わず閉口する
葉月「なんでもだよ」
プイとそっぽを向く
久弥「由来は?
聞いたことないの」
葉月「あるよ
それこそ小学生のときに」
久弥「それで?
親は何だって?」
葉月「至ってシンプルだよ
“8月”生まれだから」
久弥「旧暦の8月で “葉月”」
葉月「お前…(驚き)」
葉月「知ってて聞いた?
エスパーかよ」
久弥「(笑って)っ…
なわけ…」
久弥「誕生日 知ってたら
誰だって想像つく」
葉月「──……」
少しだけ拗ねたような顔で久弥を見る
久弥「だからピッタリじゃん
お前に」
久弥「似合ってるよ」
葉月「…どこが?(困惑)
“だから”って?」
久弥「“8月”だろ?
盛夏──」
久弥「お前なら真っ先に
何 思い出す?」
葉月「──……」
久弥の顔を見つめて考える
葉月「“ランナー”(真面目な顔で)」
久弥「…は?」
久弥「…って
バカかよ…」
久弥「そっちの “聖火”じゃないって」
久弥「…今 何の話してんだよ
盛るに夏で “盛夏”だよ」
葉月「…あ〜(間の抜けた顔)」
久弥「…本当に分かってんのかよ(呆れ)」
葉月「分ぁかってるよ!」
葉月「…それで?
だから何だって?」
久弥「──……」
答えを待っている様子の葉月を一瞥して
久弥「…だから──」
久弥「8月の真夏といえば
何って話だよ」
久弥「…俺は──」
久弥「真っ先に
“向日葵”を思い出す」
葉月「──……」
話す久弥の横顔を見つめてる
久弥「向日葵なんてさ──」
葉月の方に向いて
久弥「お前にピッタリじゃん」
葉月「“ヒマワリ”…?(ピンときていない、不思議そうに)」
葉月「…そう?」
久弥「うん(頷く)」
久弥「明るくて
翳りなんてなくて──」
久弥「太陽の象徴みたいな花じゃん」
久弥「お前のイメージまんまだよ
少なくとも──」
久弥「俺の中では」
葉月「──……」
一寸見つめ合うふたり
葉月「…やっぱ──」
久弥「…え?」
葉月「(顔を顰めて)お前に褒められると
変な気分になるわ…」
久弥「っ…(吐き捨てるように鼻で笑って)
…お前──」
久弥「そんなだから
モテないんだよ」
葉月「は!?」
葉月「おい! なんでだよ…!」
久弥「知らん
今度こそ自分で考えろ」
葉月「なんで?
…なんか怒ってる?」
葉月「え なんで?」
葉月「(駄々を捏ねるように)なあ
なんで ちょっと不機嫌なんだよ」
久弥「っ…(思わず苦笑して)
しつこいって」
ぱっと思い付いたような顔になって
葉月「あ じゃあさ──」
久弥「(未だ笑いながら)…え?」
葉月「“久弥”は?
名前の由来──」
葉月「何か聞いたことある?」
久弥「俺?
俺は…」
久弥「──……」
プリントに書き込んだ自分の名前を見つめる
久弥「…聞いたことないけど
俺も…」
葉月「?」
久弥「…俺も──」
プリントに視線を落としたまま、独り言のように話す
久弥「俺も好きじゃないよ
自分の名前」
葉月「(軽く苦笑して)お前もかよ」
葉月「なんで?
何が不満なの」
久弥「──……(葉月を見つめる)」
葉月「…え?(戸惑い)」
葉月を見つめたままで
久弥「何でもいいから──」
久弥「もっと別な名前がよかった」
葉月「──……」
見つめられるがまま、久弥から目を逸らせずにいる
久弥M「そうすれば──
いたずらに比較して
心が疼くようなこともなかった
でも皮肉だよな
それでも “あの子”と
同じ名前じゃなかったら──」
葉月を見つめたまま
久弥「この名前以外なら何でも」
葉月「──……」
久弥を見つめたままでいる
久弥M「きっとお前は
今みたいに──
俺に興味なんか
持たなかっただろう」
10-4
◯(戻って現在)屋外、キャンパス内の道
回想内の久弥と葉月の姿が、フェードアウトしていく
回想内の自身の姿に重なるようにして、同じベンチに腰掛ける久弥
久弥M「“ここ”止まりでも
これ以上──」
久弥「──……」
背もたれに頭を預け、空を仰いで息を吐く
× × ×
(回想)
島へ向かう船上、柵に並んで海を眺めているふたりの背中
久弥M「遠くへ泳いでいくことは なくても」
× × ×
久弥「──……」
パック飲料を見つめ、握っている手の指でなぞる
久弥M「何でもない顔をして──」
久弥「…っ(苦しそうに息を吐いて)
…気持ち悪──」
一気に食べた食事が効いてくる、顔を顰めて胸の辺りを撫でる
久弥M「なんてこともない日常に
戻っていけるよな」
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