水の音の中で───第8話
8-1
◯旅館の部屋(深夜)
電気は点いておらず、開け放たれた窓から入る月明かりのみが、部屋を照らしている
久弥と葉月、ともに旅館の浴衣に着替えている
久弥「…はあ──」
脚を投げ出して座っている、葉月の腿の上に寝転がる
葉月「は!? 冷た!」
脚の上の久弥を見下ろして
葉月「お前 全然
髪乾いてないじゃん…!」
久弥「そう?(平然と)
じゃあ拭いてよ」
葉月「…やだよ
なんでだよ…」
葉月「第一なんで膝枕なんだよ」
葉月「大体さ──」
葉月「硬くて気持ち良くないだろ」
久弥「そ?
(葉月の腿を揉んで)案外 柔らかいけど」
葉月「バカ! やめろよ」
久弥「…っふふふ──(クスクスと笑う)」
葉月「──……」
見下ろしている葉月と見つめ合って
久弥「──……」
はたと沈黙になる
久弥「ねえ」
葉月「ん?」
久弥「俺のスマホは?」
葉月「あ〜 もう…(隣の卓上に目をやって)」
葉月「…はいはい」
言いながら、卓上のスマホに手を伸ばす
葉月「ほら」
スマホを差し出して
葉月「んな体勢でいるから
取れないんだろ?」
久弥「ん──
ありがと」
久弥「──……(スマホを弄る)」
葉月「──……」
ひとり窓の外を眺めている
久弥「ほら」
葉月「え?」
久弥「“行きずり”──」
ネットの辞書の文書を読み上げる
久弥「“道ですれ違っただけの”
“通りすがりの”──」
葉月「──……」
久弥が読み上げる言葉に、静かに耳を傾ける
久弥「“その場限り”
“かりそめの”──」
久弥「やっぱ違うじゃん」
頭上の葉月を見上げる
葉月「え…?」
久弥を見下ろす
久弥「“ただすれ違っただけ”
じゃない──」
葉月「──……」
× × ×
(回想)ふたりの初対面
教室にて、隣席にやって来る久弥
その久弥を見上げる葉月
× × ×
久弥「…ほんのちょっとで──」
× × ×
(回想)学食にて
カウンター越しに会話するふたり
× × ×
久弥「“その程度”で
終わりじゃないでしょ?」
久弥「この旅行も──」
久弥「俺たちも」
葉月「──……」
見つめ合うふたり
葉月「…うん──」
葉月「…そうだよ」
葉月「いいから ほら──」
久弥「?」
キョトンとした顔で葉月を見上げる
葉月「座って
本当に拭いてやるから」
久弥「──……」
* * *
久弥を自分の前に座らせ、後方からタオルで髪の毛を拭いてやる葉月
タオルを脇に置き、徐に話し始める
葉月「“べき” “べき”って──」
久弥「え?」
葉月に背を向けたまま会話する久弥
葉月「なんとか “しなきゃ”
なんとか “しなきゃ”って思うから──」
葉月「だから 自分に対する
ハードルが上がってって──」
久弥「──……」
葉月「苦しくなんのかな…」
葉月「だから 自分のこと──」
葉月「…なかなか好きになって
やれないのかな」
独り言のようなトーンで話す
久弥「──……」
久弥「(軽く笑いながら)そんな真剣に考えてくれてたの
俺のこと」
葉月「──……」
久弥「ありがとう」
少し頭を垂れ、うなじの骨が浮き出る
葉月「…うん(ぼんやりしている、生返事)」
葉月M「“ほっそい背中だなあ”
…なんて──
あいつが礼なんか言ってるのに
その時の俺は──
そんなことばかり考えていた
…だってさ──
肩も うなじも 腕も──
全部があまりに細くて
そんな…
あいつの言う
“すべき”ことばかり
背負い込んでしまったら
その細い背中が…
折れてしまいそうで──」
久弥「葉月…?」
後方の葉月を軽く振り返りながら
葉月「…え?」
後ろから久弥を抱きしめている
久弥「──……(微かな動揺)」
葉月「──……」
泣きそうな顔で、久弥の背に頭を押し付けている
葉月M「ただその時は──
こうするしか思い付かなかった」
8-2
部屋に敷かれている二組の布団
葉月と久弥、それぞれの布団の上に寝ている
布団の上に半身を起こして
久弥「ねえ」
葉月「ん?」
久弥「そっちで一緒に寝てもいい?」
思わず飛び起きて
葉月「は!?」
葉月「一緒に “寝る”って…!
どういう意味…!?」
久弥「…どういう意味って──(不思議そうに)」
久弥「言葉まんまの意味だけど」
久弥「それ以外に何があんの」
葉月「──!」
葉月「いいよ!(怒ったように、制止の意)
…聞くな!」
久弥「──……」
半身を起こしたままでいる
葉月「──……(戸惑っているような顔で)」
葉月「…いいよ」
葉月「ほら
おいで」
久弥「うん」
* * *
久弥が葉月の背に向かう形で、ひとつの布団で寝ているふたり
葉月「ごめん
やっぱ無理…!」
言って、唐突に起き上がる
久弥「…え?(驚き、ぽかんとする)」
追うように自身も身を起こす
久弥「臭かった?」
葉月「は!?
なわけ!」
葉月「…むしろ──」
葉月「同じシャンプー使ったのに──」
葉月「なんで
“そんな匂い”すんだよ…(当惑)」
久弥「っ…(鼻で嗅いで)」
久弥「“そんな匂い”する?」
葉月「…うん──」
葉月「だから ごめん
無理」
葉月「…このまま
引っ付いてたら──」
葉月「間違って
変な気 起こしそうだから」
久弥「──……」
久弥「(真面目な顔で)変な気って?」
葉月「…子供かよ」
葉月「それ以上 聞くな」
久弥「っ…(思わず笑う)」
葉月「──……」
久弥「別にいいのに──」
久弥「変な気 起こしても」
葉月「──!
…お前っ──」
葉月「アホか…!」
葉月「もっと自分のこと
大事にしろ…!」
言って、布団を引っ被る
久弥「はは──
なんで」
久弥「急に親みたいなこと言うじゃん」
葉月「言うよ…!
言うだろ…!」
葉月「──……(真面目な顔になる)」
布団を被り、久弥に背を向けたまま話す
葉月「…お前はもっと──」
葉月「自分のこと大切にしろよ
自分のこと…」
葉月「もっと大切にしてほしい」
久弥「──……」
久弥「ごめん」
葉月「…別に──」
久弥の方に向き直って
葉月「…俺に謝ることじゃないだろ」
久弥「──……」
葉月から視線を外し、下方を見つめたまま
久弥「自分のことが嫌いだから──」
久弥「だから
大切に出来ないんだよ」
葉月「──……」
久弥を見つめる
葉月「なら 分かったよ」
言って身を起こす
久弥「…?(葉月を見る)」
葉月「ほら おいで」
隣に迎え入れるべく、掛け布団をめくってみせる
久弥、徐に葉月の布団に寝転がる
葉月「お前が自分のこと
大切に出来ないなら──」
自分も布団に寝転がり、久弥を背中から抱きしめる
葉月「その分 俺が
大切にしてあげるから」
久弥「──……」
葉月「…それでいいよな
きっと──」
久弥「…うん──」
* * *
引きの画、葉月が久弥を抱きしめたまま、ひとつの布団で寝ているふたり
8-3
◯ 船外、デッキ(朝)
久弥と葉月、ふたり並んで柵にもたれて立っている
久弥「(海に向かって大声で)あー!
嫌だー!」
葉月「──!?」
不意に絶叫する久弥に驚き、慌てて隣を振り返る
葉月「──……(久弥の横顔を見る)」
一寸考えて
葉月「何がー!?」
同じように海に向かって叫ぶ
久弥「帰りたくなーい!」
葉月「──……」
久弥の横顔を見つめる
葉月「俺もー!
帰りたくなーい!」
再び海に向かって叫ぶ
葉月「でも
単位 落としたくなーい!」
久弥「っ…(笑って)」
葉月M「本当に思うよ
心底──
このまま ふたり
ずっと漂っていられたら
いいのにって
だけど──」
久弥に向いて
葉月「大丈夫だよ」
久弥「?」
葉月「帰ってからも──」
葉月「今日の続きなんて
いくらでも出来るから」
久弥「──……」
葉月を見つめる
久弥「本当に?」
葉月「うん」
久弥「分かった」
久弥「じゃあ お前の部屋で
たこせん焼く」
葉月「は? 怖(苦笑して)」
葉月「部屋 燃える」
久弥「(笑って)なんで」
久弥「たこせんのこと
何だと思ってんの」
葉月「(笑いながら)分かんない
ただ なんかヤバそう」
久弥「ははは──」
笑い合うふたり
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