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水の音の中で───第8話

◇表記ルール
 人物名「」:通常のセリフ
 人物名M「」:モノローグ
 無表記、セリフ内():ト書き
    ×   ×   ×:回想シーンの導入/終了
   *   *   *:時間経過

◆登場人物
 入瀬 葉月(イリセ ハヅキ)
 雨沢 久弥(アマサワ ヒサヤ)

8-1

◯旅館の部屋(深夜)


   電気は点いておらず、開け放たれた窓から入る月明かりのみが、部屋を照らしている

   久弥と葉月、ともに旅館の浴衣に着替えている

久弥「…はあ──」
   脚を投げ出して座っている、葉月の腿の上に寝転がる

葉月「は!? 冷た!」
   脚の上の久弥を見下ろして
葉月「お前 全然
 髪乾いてないじゃん…!」

久弥「そう?(平然と)
 じゃあ拭いてよ」

葉月「…やだよ
 なんでだよ…」


葉月「第一なんで膝枕なんだよ」

葉月「大体さ──」
葉月「硬くて気持ち良くないだろ」

久弥「そ?
 (葉月の腿を揉んで)案外 柔らかいけど」

葉月「バカ! やめろよ」
久弥「…っふふふ──(クスクスと笑う)」


葉月「──……」
   見下ろしている葉月と見つめ合って
久弥「──……」
   はたと沈黙になる


久弥「ねえ」
葉月「ん?」

久弥「俺のスマホは?」

葉月「あ〜 もう…(隣の卓上に目をやって)」
葉月「…はいはい」
   言いながら、卓上のスマホに手を伸ばす

葉月「ほら」
   スマホを差し出して
葉月「んな体勢でいるから
 取れないんだろ?」

久弥「ん──
 ありがと」


久弥「──……(スマホを弄る)」

葉月「──……」
   ひとり窓の外を眺めている


久弥「ほら」
葉月「え?」

久弥「“行きずり”──」

   ネットの辞書の文書を読み上げる
久弥「“道ですれ違っただけの”
 “通りすがりの”──」

葉月「──……」
   久弥が読み上げる言葉に、静かに耳を傾ける

久弥「“その場限り”
 “かりそめの”──」


久弥「やっぱ違うじゃん」
   頭上の葉月を見上げる

葉月「え…?」
   久弥を見下ろす


久弥「“ただすれ違っただけ”
 じゃない──」

葉月「──……」

   ×   ×   ×
   (回想)ふたりの初対面
   教室にて、隣席にやって来る久弥
   その久弥を見上げる葉月
   ×   ×   ×

久弥「…ほんのちょっとで──」

   ×   ×   ×
   (回想)学食にて
   カウンター越しに会話するふたり
   ×   ×   ×

久弥「“その程度”で
 終わりじゃないでしょ?」

久弥「この旅行も──」


久弥「俺たちも」

葉月「──……」
   見つめ合うふたり


葉月「…うん──」


葉月「…そうだよ」

葉月「いいから ほら──」
久弥「?」
   キョトンとした顔で葉月を見上げる

葉月「座って
 本当に拭いてやるから」
久弥「──……」


  *   *   *


   久弥を自分の前に座らせ、後方からタオルで髪の毛を拭いてやる葉月


   タオルを脇に置き、徐に話し始める
葉月「“べき” “べき”って──」

久弥「え?」
   葉月に背を向けたまま会話する久弥


葉月「なんとか “しなきゃ”
 なんとか “しなきゃ”って思うから──」

葉月「だから 自分に対する
 ハードルが上がってって──」

久弥「──……」

葉月「苦しくなんのかな…」

葉月「だから 自分のこと──」
葉月「…なかなか好きになって
 やれないのかな」
   独り言のようなトーンで話す

久弥「──……」


久弥「(軽く笑いながら)そんな真剣に考えてくれてたの
 俺のこと」

葉月「──……」

久弥「ありがとう」
   少し頭を垂れ、うなじの骨が浮き出る

葉月「…うん(ぼんやりしている、生返事)」


葉月M「“ほっそい背中だなあ”
 …なんて──

 あいつが礼なんか言ってるのに
 その時の俺は──

 そんなことばかり考えていた

 …だってさ──

 肩も うなじも 腕も──

 全部があまりに細くて
 そんな…

 あいつの言う
 “すべき”ことばかり
 背負い込んでしまったら

 その細い背中が…
 折れてしまいそうで──」


久弥「葉月…?」
   後方の葉月を軽く振り返りながら

葉月「…え?」
   後ろから久弥を抱きしめている


久弥「──……(微かな動揺)」

葉月「──……」
   泣きそうな顔で、久弥の背に頭を押し付けている


葉月M「ただその時は──

 こうするしか思い付かなかった」



8-2


   部屋に敷かれている二組の布団
   葉月と久弥、それぞれの布団の上に寝ている


   布団の上に半身を起こして
久弥「ねえ」

葉月「ん?」

久弥「そっちで一緒に寝てもいい?」

   思わず飛び起きて
葉月「は!?」
葉月「一緒に “寝る”って…!
 どういう意味…!?」


久弥「…どういう意味って──(不思議そうに)」

久弥「言葉まんまの意味だけど」
久弥「それ以外に何があんの」

葉月「──!」

葉月「いいよ!(怒ったように、制止の意)
 …聞くな!」


久弥「──……」
   半身を起こしたままでいる

葉月「──……(戸惑っているような顔で)」


葉月「…いいよ」

葉月「ほら
 おいで」

久弥「うん」


  *   *   *

   久弥が葉月の背に向かう形で、ひとつの布団で寝ているふたり


葉月「ごめん
 やっぱ無理…!」
   言って、唐突に起き上がる

久弥「…え?(驚き、ぽかんとする)」


   追うように自身も身を起こす
久弥「臭かった?」

葉月「は!?
 なわけ!」


葉月「…むしろ──」

葉月「同じシャンプー使ったのに──」

葉月「なんで
 “そんな匂い”すんだよ…(当惑)」


久弥「っ…(鼻で嗅いで)」

久弥「“そんな匂い”する?」

葉月「…うん──」

葉月「だから ごめん
 無理」

葉月「…このまま
 引っ付いてたら──」

葉月「間違って
 変な気 起こしそうだから」

久弥「──……」


久弥「(真面目な顔で)変な気って?」

葉月「…子供かよ」

葉月「それ以上 聞くな」

久弥「っ…(思わず笑う)」

葉月「──……」


久弥「別にいいのに──」

久弥「変な気 起こしても」

葉月「──!
 …お前っ──」

葉月「アホか…!」
葉月「もっと自分のこと
 大事にしろ…!」
   言って、布団を引っ被る

久弥「はは──
 なんで」
久弥「急に親みたいなこと言うじゃん」

葉月「言うよ…!
 言うだろ…!」


葉月「──……(真面目な顔になる)」

   布団を被り、久弥に背を向けたまま話す
葉月「…お前はもっと──」

葉月「自分のこと大切にしろよ
 自分のこと…」

葉月「もっと大切にしてほしい」

久弥「──……」


久弥「ごめん」

葉月「…別に──」

   久弥の方に向き直って
葉月「…俺に謝ることじゃないだろ」

久弥「──……」


   葉月から視線を外し、下方を見つめたまま
久弥「自分のことが嫌いだから──」

久弥「だから
 大切に出来ないんだよ」

葉月「──……」
   久弥を見つめる


葉月「なら 分かったよ」
   言って身を起こす
久弥「…?(葉月を見る)」

葉月「ほら おいで」
   隣に迎え入れるべく、掛け布団をめくってみせる

   久弥、徐に葉月の布団に寝転がる


葉月「お前が自分のこと
 大切に出来ないなら──」
   自分も布団に寝転がり、久弥を背中から抱きしめる
葉月「その分 俺が
 大切にしてあげるから」

久弥「──……」


葉月「…それでいいよな
 きっと──」

久弥「…うん──」


  *   *   *

   引きの画、葉月が久弥を抱きしめたまま、ひとつの布団で寝ているふたり



8-3

◯ 船外、デッキ(朝)


   久弥と葉月、ふたり並んで柵にもたれて立っている


久弥「(海に向かって大声で)あー!
 嫌だー!」

葉月「──!?」
   不意に絶叫する久弥に驚き、慌てて隣を振り返る

葉月「──……(久弥の横顔を見る)」
   一寸考えて


葉月「何がー!?」
   同じように海に向かって叫ぶ

久弥「帰りたくなーい!」

葉月「──……」
   久弥の横顔を見つめる


葉月「俺もー!
 帰りたくなーい!」
   再び海に向かって叫ぶ

葉月「でも
 単位 落としたくなーい!」

久弥「っ…(笑って)」

葉月M「本当に思うよ
 心底──

 このまま ふたり
 ずっと漂っていられたら
 いいのにって

 だけど──」


   久弥に向いて   
葉月「大丈夫だよ」

久弥「?」

葉月「帰ってからも──」
葉月「今日の続きなんて
 いくらでも出来るから」

久弥「──……」
   葉月を見つめる


久弥「本当に?」

葉月「うん」


久弥「分かった」

久弥「じゃあ お前の部屋で
 たこせん焼く」

葉月「は? 怖(苦笑して)」
葉月「部屋 燃える」

久弥「(笑って)なんで」
久弥「たこせんのこと
 何だと思ってんの」

葉月「(笑いながら)分かんない
 ただ なんかヤバそう」

久弥「ははは──」
   笑い合うふたり



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