お金には変えられないもの
こんばんは。鮫肌尻子です!
もうすぐワンマンショーが近づいてきました!
観覧チケットや配信のチケットをご購入頂いてるみなさん、本当に本当にありがとうございます!
ただいま絶賛バタバタ準備中な、ワンマンショーですが、実はバンド始まって以来、初ワンマンなのです。
とても緊張してるし、これからはこういうのをたくさんやっていきたいなぁと思って、気合いも入っています。でもなかなか、うまくいかないような、うまくいってるような、焦りだけが増えていってます。がんばらなきゃ。
さて、
私がバンドを始めたのは、約7〜8年前くらいの23歳か24歳の時でした。
私は中学生のときくらいに、ハイロウズやクロマニヨンズを好きになってから、ずっとロックやパンクが好きで、その後シナロケにはまり、そして60sとかガレージパンクとかを好きになって、GSや歌謡曲、70年代ロック、と広がっていき、今に至るのですが
それまでは、絵を描いたり、お笑いをやったり、なぜかバンドだけはやる機会がなく
自分は歌も下手だし、バンドとかやってる友達もいないし、自分はずっと観に行く側だろうなぁと思っていました。そして、私は、バンド以外で『ロックンロール』を表現したいと思っていました。
でも実は、バンドやりたいなぁとはずっと思っていて、高校のとき1人でデザイン準備室でひたすら絵を描いていたときも、福岡に出てきて古着屋で働いてたときも、なんやかんやバイトをしてたときも、
微妙なバンドマンを見るたびに、
『うちがバンドをやったら、こいつらよりぜったい面白いバンドできるやろなぁ』と思っていました。(どんな自信や!)
そんなこんなで、私はバイトをしながら、自分が、なにをしたいのかは、本当にはわからず、1人でバンドのライブを見に行ったり、CDや、レコードを買ったりしていました。
当時私が好きだった日本のバンドは、いっぱいいるのですが、JAPAN狂撃SPECIALが特に大好きで、(もしかしたら、昭和好きのルーツもここにあるかもしれない!騒音寺も大好きだったな〜)鋲ジャンを真似して作って、東京のライブも大阪のライブも見にいってました。。
私は今でも、狂撃の、ベースだったヨーカイさんはカリスマだなあと思います。あんなに漫画のキャラみたいに、真っ直ぐで純粋でカッコいい人はいないと思います。ベースは弾けないのに加入したと言ってましたが、そのエピソードすらかっこいいなぁと思っていました。今でもヨーカイさんは、ヒーローで、憧れです。
わたしたちの、バンドができて初めてできた曲『ラストライブを見に行こう』も、実は狂撃のことをモデルにした曲なんです。
狂撃が解散してからは、私は、もうバンドの追っかけみたいなことはやめて
自分のことをしっかりしなきゃ!と思い、
いろんなことに挑戦しました。紙芝居とか、漫画とか。
そんなときに見つけたのが、
アビーがTwitterで出していたバンドのメンバー募集で、
『楽器もなにもできなくていいから、とにかく面白いひとを募集。女の子も歓迎。』と書いていて、プロフィールとかを見て、なぜかこれは私を呼んでいる気がすると思い、私はバンドをやろうと思ったのでした。
そして、まったく知らない人だったアビーと、博多駅で待ち合わせをしました。
ボロボロの軽自動車は窓ガラスが割れていて、アビーは仕事帰りで、作業着を着ていて、その車に乗ってジョイフルに行ったのですが
今考えたら、そんな車乗ったらあかんやろ、と思います。
一方そのとき、アビーは、他のメンバーのみんなに、そんな素人の女の子は、断ってくるようにと言われていたのですが、
ジョイフルで、いろいろ話して絵を見てもらったりしてるうちに
メンバー全員首にしてでも、わたしとバンドをやりたい、そっちの方が未来があると言ってくれました。
なにも楽器もできない、わたしなのに。
とんだ賭けだと思います。
でもアビーは未だに『鮫ちゃんに会って、バンドやろう!てなって車で帰ったときの、ワクワクする感じが忘れられない。それだけでバンドができる〜』と言ってくれます。
アビーさんはいつでも、不思議な直観だけで生きています。
このときの気持ちを、私は『もしよかったら』
という曲で歌っています。
作曲はなんと、不思議なご縁で、ザ・ヤングのマオさんなのです。宝物の曲です。わたしはサディスティックミカバンドみたいでかっこいいなーと勝手に思っています。
そんで、バンドの初ミーティングのときに、私は歌詞を4個くらい書いてきて、それが、『鮫肌尻子とダイナマイトのテーマ』『ラストライブを見に行こう』『I wanna be your グルーピー』『おまえのミルク飲み人形になったろか』でした。
全部ファーストに入ってる曲ですか、
アビーは『ラストライブを見に行こう』を特に気に入ってくれてすぐに曲を作ってきてくれました。
私は、アビーと、鮫肌の初代ベースだったガリが叩けないドラムを叩いて、2人で、出来たばかりの『ラストライブを見に行こう』を
スタジオで聴かせてくれたとき、自分のバンドができるんだなぁということと、曲を作ってくれたことがとても嬉しくて、こんなに嬉しい日が、世の中にはあるんだなぁと思いました。
それから、ドラムにはマンナミが加入し、
マンナミもドラム初心者で、バンドも初めてでしたが、とてもガッツがあり、面白いドラムを叩いてくれたし、ほんとにすごい精神力で、マンナミにしかできないドラムを叩いてくれました。見た目もキャラクターも面白いし、初期の鮫肌はマンナミがいなくては出来なかったと思います。
初代ベースのガリも、見ず知らずの者だった私をとても大事に思ってくれて、いつも支えてくれて、よくセバスチャンとかと、潰れそうな店にご飯を食べに行くということをしていました。
ガリは鮫肌はもっと有名になるバンドやから、こうした方がいいとか、いつも助言してくれてました。ガリが辞めるのは本当にさみしかったけど、その理由も鮫肌のためを思ってのことで、それは止めれませんでした。いつも優しくて、常識に囚われないガリがいたからこそ、不思議なバランスのバンドだった気がします。
そしてガリが脱退後は、もくへんが入ったのですが
もくへんが入ったことにより、もう、めちゃくちゃに活動力があがり、軽自動車で、東京まで行くような、バンドになっていました。
もくへんも、いつも優しく、面白く、お酒飲んだらめんどくさいけど、最後までとても頑張ってくれました。運転もめちゃくちゃするし、タフで、フットワークが軽いのです。もくへんも、もともとベースじゃなくて、ベースは初心者でしたが、最後はベーシストのようになっていました。
もくへんは『恋の突撃ロックンロール』という隠れ人気ソングも作ってくれています。かたみですね🙏生きてるけど。
そして、このもくへん、マンナミ時代は、4年間続き、ほぼ素人だった我々はただただガムシャラにライブをしまくっていました。月に8本とかしてたりしました。あほやん。
そして、なぜかこの下手くそなバンドでも、良いと言ってくれる人は増え、いろんなところからライブオファーがきて、全国をまわり、サザナミレーベルから音源を出せるようになり、
サザナミレーベルのバンドを見たりして
我々は、全国区のバンドになりたい!という思いで、曲や演奏も見直し、練習をがんばりました。
がしかし、やっぱりバンドってのは不思議なもので、もくへんとマンナミとも違う道を進むことになり、そこから止まると思われましたが
脱退の3日後から、
ウェットン渋谷とジャッキー江口が加入し
すぐにライブを再開しました。
リズム隊が変わり、バンドはガラッとリニューアル!昭和風味も増え、バンドにはグルーヴというものが生まれました。本当にやりたいこと、昭和風味な、ロック、というのが、少しずつできるようになってきて、バンドは、もうガムシャラだけでなく、カラフルなものになりました。
なんでもできるやん!て思いました。
えぐっちゃんは、もともと知り合いで、MVを撮ってくれたり、なにかと手伝ってくれてる存在でしたが、知り合いであったウェットン渋谷を連れてきたという、偉大な功績も残し、
バンドはフレッシュかつ、パワフルに生まれ変わったのでした。
えぐっちゃんは今年の2月までいたのですが、今では少し懐かしくすら感じます。。ほんとにみんなでいろんなところに行ったし、どこにいっても、怒られながらも愛される不思議なキャラでした。『もしよかったら』『Live in HAKATA』のMVはえぐっちゃんの残してくれた大事な功績です。ありがとう!いい思い出だなー!
そして2人がはいって、初めてスタジオに入った時も、こんなに楽しいことがあるのか!と思いました。そのことは、『新しいエンジン』という曲になっています。
えぐっちゃんも、新鮫肌にとても大事な存在でしたが、
特にウェットンの登場はバンドにとって、とても大きな出来事で、ウェットンが陰で曲もバンドも支えてくれています。てかウェットン、今更いうことじゃないですが、めちゃめちゃベースが上手いです。
令和の、ルイズルイス加部か!
てくらい上手いです。
鮫肌の演奏上手くなったといわれるのは、
ウェットンが入ったからです。
とにかくいいベーシストだし、(もともとベースじゃないんですけどね!)見た目も良いし、キャラクターも最高だし、性格までいいので、ウェットンの株が落ちたことは今まで一度もないんです。今では立派な若頭のようになっていていつも頼っています。
そして私のやりたいことをすぐ理解してくれるのも、ウェットンで、
アビーもウェットンには100%の信頼をしています。
そして、ジャッキー江口が休養のため脱退した後は
マッシブがドラムをやることになり現体制になりました!
マッシブは、3枚目のアルバムの『ニューレトロック』の録音とミックスをしてくれて、そこからPAでツアーも同行してくれるようになり、もはや我々はマッシブがいなくてはいけない!ていうくらい、いろいろ頼っていました。
そして、えぐっちゃんがいなくなってから、ドラマーがいない!てことで、マッシブにお願いしてドラムをやってもらったのですが
もともとはドラマーじゃないし、
本格的にドラムを始めたのはえぐっちゃんが休む寸前からなのですが、
ありえないスピードで、ドラムがうまくなり、最初のライブで50分のセットリストを完璧にこなしてくれました。今はもう普通に、良いドラマーになっています。
不思議です。なんでマッシブはなんでもできるのか不思議です。歌も上手いです。
そしてマッシブとスタジオ入った時、またもやバンドは生まれ変わりました。ボーカルも聞こえやすくなったし、バンドのリズムや音全部を、もっとちゃんと考えるようになりました。そしてより曲がわかりやすくなったと思います。そして、マッシブドラムは、GSや歌謡曲、ガレージとも、相性が良くて、より我々のやりたいことが叶いました。
ニューレトロックと、今の鮫肌ができたのはいろんな意味でマッシブのおかげだし、マッシブが鮫肌の未来を握っている気がします。
マッシブとは、なぜか一緒にいて、楽なので(同い年だから?)喧嘩することも多いですが、なんだかんだですぐ仲直りしている不思議な存在でもあります。仲が良いのか悪いのか。
そんなこんなが、今の鮫肌尻子とダイナマイトなのですが、、
どの時代も、今考えたら、私は
いいなぁ!と思います。
どの時代も好きです。
そして、今の鮫肌が1番良い気もします。
当事者だから、そう思うのかもしれませんが。
アビーがあのとき、なんで私とバンドをやろうと思ってくれたのかはわかりませんが、
アビーとバンドをやってきて、本当によかったし、最高で最強の相棒だと思っています。
バンドの中にいる本当にカッコいい、ギタリストってのは、
いろいろな条件があると思うけど、わたしは
全人生、ぜんぶのことを捧げて、ギターの音を乗せることができるボーカリストを持っているギタリストが、かっこいいと思います。
そういった意味では、アビーがミックロンソンを好きなのが、ほんとうにわかります。
だれが弾いても一緒なギターでは意味がなくて、アビーじゃなきゃいけないのが凄いことだと思います。アビーのギターを聴いたら、鮫肌だなぁて思うのが素敵なことだと思います。
そして思い出したのですが、私はバンドの最初の方、実はデザイン会社に就職してて、デザインの仕事をしながらバンドもやろうかなぁと思っていたのですが、
アビーがあるとき、残業しまくってる私を迎えにきてくれて、
『鮫ちゃんは、こんなことをする人じゃない、自分でデザインも音楽もする人だし、会社を辞めたほうがいい、もったいない』
と言ってくれて、私は
『といっても、バンドで食えないのにどうしたらよいのやら』と思ったけど、なぜなのか次の日、仕事を辞めると部長にいったのでした。バイトを掛け持ちしながら職業訓練に通い、イラレとフォトショを習って、せっかく就職したのに!!給料もけっこう貰えるのに。
でも、なにも後悔していないし、
アビーがあのとき救ってくれて本当によかったと思っています。
その会社で学んだことなんて一つもないし、
デザインは自分でもできるし、自分のやりたいことをやれる時間があることが、1番幸せだなぁと思います。
お金には変えられないもの、それは
本当に世の中にたくさんあると思います。
私はバンドをして、それをたくさんもらってるし、
お金に変えられないものをたくさん歌いたい、伝えたいと思っています。
ワンマンショー予約お待ちしてます‼️
11月23日(月)祝🔻
『鮫肌尻子とダイナマイトワンマンショー!』
場所 キャバーンビート
DJ▶️US-UK
💠観覧20名様限定
💠配信ライブあり
◇観覧2,500円+1ドリンク
◇配信チケット 1,500円
🎁記念グッズプレゼント
ご予約はこちら
https://www.cavern-beat.com/event/2453
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