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常識の常識的な変遷

 今日は「常識」について考えてみたい。日常的によく耳にするはずだ。どのようなニュアンスで使われているだろうか。辞書的には、明治期に定着した英語「common sense」の訳語で、一般的に「社会人として当然持っている、持っているべきだとされる知識・判断力」を意味する。一方、哲学では「人類全体に共通する能力で、真理・道徳をとらえる直覚」を指すそうだ。「持っているべき」だとか、「真理・道徳」をとらえるだとか、基本的に「よいこと」として説明されている。当然のことながら、ないよりもあった方がよいのだろう。誰かとの会話において「君、非常識だね」と言われてもまったくうれしくはない。「常識」が「よいこと」であるとして、少し気になる点がある。哲学における「常識」の説明にある「人類全体に共通する能力」という表現だ。「人類全体に共通」するのであれば、誰もが持っているはずだ。標準装備として誰もがもっている能力なのだから、一般的な意味における「持っているべき」という表現はおかしい。一般的な意味と哲学的な意味の間に微妙な差異が存在するのはなぜだろうか。
 両者が異なる能力を指していると考えるのが妥当だろう。おそらく、哲学的意味で用いられたのが先のはずだ。もともと価値判断のないニュートラルな状態だったものが、何らかのきっかけで価値が生じた、価値が付与されたと考えるのが自然だからだ。では、何がその価値をもたらしたのか。大きく言えば、近代という時代だろう。この時代は、自由と民主主義と科学技術の発展によって特徴づけられる。特に重要なのが、個人の意思の尊重、という点だ。王が自身の権威や権力で住民を支配していたそれまでの政治体制では、人々の意思は尊重されていなかった。人々が自由と平等を求めるようになると、国家運営についても人々が自らの意志によって代表者を選ぶようになった。個人が尊重されることにより、住む場所、働く場所、結婚する相手を「自由」に選べるようになった。結果、それまで尊重されていた地縁的、血縁的共同体が崩壊した。共同体のしがらみから解き放たれた個人は、自らの意思で自分の人生を選ぶようになった。しかし、それはあくまで建前だった。個人は自由に選んだわけではなかった。なぜなら、自由なのは彼ら全員だったからだ。特定の家や地域に住むことで自動的に職場や結婚相手が決まるわけではない。自由になった彼ら全員が自分で相手を探す必要があった。必然的に競争が生じる。個人個人の能力や資質の高さを武器に、相手を勝ち取る必要があった。相手はより価値の高い、勝ち取ってメリットの大きいものが選ばれるようになる。競争をすれば、勝者も敗者も生まれる。勝っても負けても自分の意思で選んだとはいえまい。だから建前なのだ。
 この結果、人々はバラバラになる。このバラバラの個人が選んだ政府はそれでも国家を運営しなければならない。個人間同様、国家間においても競争は存在する。日本が近代に突入したのは明治からだ。「殖産興業」「富国強兵」というスローガンはあまりに有名だろう。西欧列強に後れをとらないため、日本は国家として一丸となる必要があった。その点、人々が家や地域という小さな共同体に縛られていることは確かに都合が悪かったといえる。そのような共同体を破壊し、個人をバラバラにした上で日本国民としてひとまとめにした方が扱いやすい、というわけだ。ただ、バラバラにした個人をまとめるための「手段」は不可欠だった。物理的には、生活の豊かさの向上がその一つだ。誰でも自分の暮らしが目に見えて裕福になれば「みんなでもっとがんばろう」と思うはずだ。一方で、精神的には、「天皇」の存在が最も有効な手段だっただろう。「西欧列強の存在」という外圧もあっただろう。そのような精神的な統合の手段の一つが「常識」だったのではないかと、私は考えている。「common sense」の訳語として「常識」が定着したのが明治期であり、タイミングも上々だ。本来は誰にでも備わっているものではあったが、国内での競争をあおる意味で、「常識」に「目指すべき到達点」という価値が付与され、人々にそこに向けた努力を促したのだ。もともと狭い共同体で周囲の目を気にしながら生きてきた多くの日本の人々にとっては、自分の中に確固とした生き方の基準などは備わっていなかったと考える。武士の道、妻の道、という立場としての生き方はあったとしても、自分なりの生き方の指針を多くの人が持っていたとは考えにくい。そのような状態で、「目指すべき到達点」として「常識」というものが提示されれば、多くの人々はすんなりと受け入れたのだろう。そして「常識」を備えるように日々努力したはずだ。このようにして、哲学的意味から一般的意味が分岐したのだ。
 このように考えると、「常識」に「よいこと」という価値判断が含まれるようになったわけは理解できる。しかし、「常識」に含まれる価値判断は「よい」だけではない。近代は、個人の意思の尊重と競争の時代だった。政府にとっては国民レベルや団結力の向上のための方便だったが、競争する当人たちからすれば「常識」に留まっているだけでは勝者にはなれなかった。「常識」は全員が目指すべき到達点であり、大学入試でいう「合格最低点」みたいなものだ。最低ラインとしては越えていたいが、安心のためにはもっと得点がほしい、つまり、十分ではない。ある程度「常識」を身に付けた人々はそのように考えたはずだ。そして「常識」にとどまらないでさらに高みを目指す者が真の勝者となっていく。こうして「常識」には「競争に勝てない者」としての価値が付与される。昭和期の哲学者戸坂潤は著書『日本イデオロギー論』において次のように述べている。
 
 常識が非難されるのは、それが独創性を欠いているということ、その意味で単に平均的な凡庸に止まっているということである。即ちこの際、一定の知識なら知識は、社会的な平均によって与えられた一定の常識的水準を有っていて、それ以下の場合は問題外として、その水準以上に抜けないことが、常識というもののネガティヴな宿命だと云って非難される。世間では殆んど凡てそういう意味に従って、常識以下とか常識的とか常識以上とか云っている。そしてこの常識以上の知識水準に達したというのが独創性のことなのである。
 
競争に勝つためには他者との違いを明確にする必要があった。他者にない優れた点を自身が持っていることを示す必要があった。個性や独創性が「よいこと」だとされたのは、このような社会的事情によるものだろう。その点で「常識」は他者との差別化ができないという意味でネガディブな評価を得ることになったのである。
 もともとは価値判断の含まれないニュートラルな言葉だったものが、時代の要請でポジティブな価値が付与され、その結果としてネガティブな価値も生じるようになった。以上が「常識」のたどった変遷である。おそらく、「常識」という言葉が持つ意味は今後も移り変わり、正負の意味合いも変わっていくだろう。大事なことは、現状とその原因を理解すること、そして現状を固定的に捉えず、きっかけがあれば変化流動するものだと考えること。これこそが脱近代を生きる私たちの「常識」なのだろう。

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