クスリをしていない自分は平凡なのだろうか
もう辞めた芸能界のことを無駄に考えてしまう
行かなくていい集まりにもたまに出向いてしまう
もう忘れたいのに
この文章で1番愚かなのは自分だとわかって書いている
覚醒剤をやっている人たちと話すことがあった。
わたしなんかより地位も名声もある人たちで、わたしの真面目な部分を全部否定された。
アウトローな方が褒められる場に連れてこられたのは初めてだったから、困惑した。
困惑の中で、自分のつまらなさを実感させられた。目の前にいるその人たちよりも、私の方が正しいと思っているのに、心はずっと引け目を感じていた。
犯罪を犯していないから大手を振って歩けないなんておかしいことと理解しながらも、これと言った犯罪歴がない自分を恨んだ。
パキシルも
サイレースも
マイスリーも
エクスタシーも
LSDも
マリファナも
MDMAも
シャブも
ぜんぶ、やっていない
所詮、どんな辛い思いをしていたって、言葉に、文章に、頼っていられるうちは平凡の範疇を抜け出せないのだろうか。
違うと思うのに、わたしはただ丸かった。
完璧な健常者として上手に社会で生きていくこともできないのに、アウトローな空間でははみ出てる部分もない。
結局マジョリティーが正しいのだろうか。
でもやっぱ思うことだらけだから、書かせて。
私たちは大衆に同情できても、個人に共感することはできない。
逆に、個人に共感できても、社会問題としての全体には同情することはできない。
アウトローな経験がある人の方が才能がある✨
という風潮
これは前者に当てはまると思う。
確かにそうなのかもしれない。でも個人まで下ったことがないからそう思うだけだとわたしは思う。
実際は本当に道徳がなくて、当然のように人を傷つけて、貶められる人だらけだから。
芸能界にいたときもそう、思った。
もちろん、劣悪な環境に生まれて、中学生の歳から身体を売られたり、暴力の中で生きてきた人がいて、クスリに頼ってでも生きてきたのはわかる。そういう人たちにはごめんなさい。
所詮わたしは何も分かってない平凡な人間だから。
個人には同情するし、心も痛いけど、やっぱり全体には同情できない。これも平凡だから?
それでも、クスリで特別だと思い込んでる人生の方がきっと平凡だと思うけど
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