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日々、どれだけの生命と言葉を交わしているか

こんばんは。今日もカンボジアの真ん中からSambor Villageです。
カンボジアは今日、仏様の誕生を祝うミサック・ボチアの祝日で、花火が上がっています。雨も降り始め、2週間前までの酷暑がウソのよう。

さて、ひとつ前の投稿『日々、どれだけの生命と一緒に働いているのか』のあと。

〇〇もぜひ見たい!という声もいただき(ありがとうございます!)ましたが、それにも増して、ご本人たちが「俺も載せろ」と言わんばかりに続々登場。
そして、それらの登場に伴って、うちのチームの人たちの自然とのつながり合いもビシバシ感じる雨季の始まり。
なので、前回ご紹介できなかった方々をこちらにて。

・丸くて膨らむカエル(ヒン)

丸いフォルムとカエルなのにゆっくり歩く姿が愛おしい

雨とともに出てきたヒンたち。
ヒン ホーン ヒン ホーン
と鳴くので名前がヒン。うちの敷地で最もよく出くわすカエルくん。

・カニ

カニさん(メス)今朝プールサイドに登場
人間用のプールの方から、自然のプール(池)に戻されるカニ

カニさんのお腹がパカっと開いているのを見て、
「卵産んだんだね、昨日の夜の雨のときかも」
「まだ生きている?」
「まだギリギリ。もうきっと最後だけどね」
と自然に会話しているうちの人たち。
こういう一体感が本当にすごい。

わあ、カニだ!すごい!とか捕まえたい!とかを
をはるかに超えて、
雨が降る→カニが出る→卵を産む→生命を終えるという一連の摂理を、ひとつの流れとして日々感知している。カニの日常化。

雨が降りそうだね、というと
ほら、コンカエップが雨を呼んでるからね(そういえば、池で鳴いている)
あの声がインドラ神に届くといいね
iPodsで音楽聞いちゃってるかも
こういう雑談しちゃうほどのレベルで自然が放つシグナルを身体で聞けている。

自然と人間が分離してしまう前の形態を、まだ日々の暮らしに宿している。
私は、これこそがコンポントムがこの現代社会に誇る資産だと思う。

まさか・・これが「ワンピース=ひとつなぎの大秘宝」か?!
(寝ても覚めても漫画・ワンピースの話をしている息子7歳の影響)

続いて。

・トッケイヤモリ 大きいやつ

爬虫類愛好家の愛ある手で、ヤモリくんは安全に捕獲されています

『ダーウィンがきた!』でも特集されていた、トッケイヤモリ。
東南アジアにいるヤモリ族の中で最大種。
(気になる方はぜひこの『ヤモリ大図鑑』を!溢れる愛とともに詳しく書かれてます)
番組中、まだその生態が詳しくわかってないのです、というナレーション。
うちのホテルにトッケイヤモリくんたちが何家族、何世代とお住まいだから、ぜひ取材にきてほしい。

この写真は、夜行性のトッケイヤモリくんたちを愛する子どもたちとの合宿「トッケイヤモリナイト」での一幕。ちょうど、爬虫類をこよなく愛する理科の先生がJICAボランティアで隣の州にお住まいで、先生の監修のもと、ヤモリにも子どもたちにも安全な形で観察させてもらいました。
「トッケイくんも、今、捕まって驚いているから、そっとみんなが気になっていることを確かめたら、すぐに放してあげよう。」という先生の一言で、生き物ハンティングとは違う、すごく神聖な、忘れられない瞬間になりました。

今、いろんな場面で人間も含めた生き物の多様性や、自然環境との関係性を回復する必要が叫ばれているし、たくさんの努力が行われている。
どの領域にも共通するけれど、すごく最先端のことと長い間ずっと普通に行われてきたことが実はとてもよく似ていたりする。

どうやらこのコンポントムには「ずっと普通だったこと」の片鱗がまだまだあるようです。この町の普通の20代、30代、さらに上の人たちが、ぽろっと口にする一言の中に、自然との関係性回復への脇道みたいなのが見えることがある。

きっと、自然はいつもこちらに向かっていろんな方法で語りかけてくれている。
カエルの声
蝉の鳴き声
アリの引っ越し
雨の前の湿気や風、気圧
ツバメの飛び方、トンボの飛び方
その言葉を聞く受容体を失ったのはこちらの側だ。
世界のいくつもの言葉が、いくつかのきっかけを経て、世代を跨ぐうちに失われていくのと同じことが、わたしたちと自然との間でも起こっている。
彼らが話す言葉を、私たちは理解できない。
でも、このカンボジアのおへそのあたりでときどき出会う人たちは、今も土と、風と、種と、生き物たちと話をしている。彼らの語る言葉を受け取っている。
自然との関係性を回復していくための数ある道のうちのひとつは、こういう“自然の言語“を学び直していくことなんじゃないだろうか。
生命に溢れるホテルの庭に、3年半、座り続けてきた今、そう思う。

消費する対象としての自然、保護する対象としての自然、ではなく、“その言葉“を学ばせてもらう、新たな言語学習のお相手としての自然という関係性。
彼らの言葉はささやかで、小さくて、儚いけど、生命の温度がある。彼らの言葉に触れることは、時に厳しくて冷たくて孤立してしまいそうな世界で、それまで知らなかった大きな安心と出会う、という喜びをもたらしてくれる気がする。

前の記事の反響がじわじわと届くのを、主役の生命たちと喜びつつ、みなさんがSambor Villageに来ていただいたときには、そういう瞬間を持てたらいいなとますます楽しみです。

2024.5.22 
花火も終わって静かな夜はトッケイヤモリのビッグマムとその息子たちが2匹
いつものレストランの角で、みなさんをお待ちしてます。


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