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「遅きに逸する」は誤用? 進化? 作家と編集者はどう考えるのか

重複を「ちょうふく」と読むのが正しくて「じゅうふく」は誤用。
でも「じゅうふく」の使い方が広がりすぎているのでセーフ。
出版の現場で仕事をしていると後者にとても違和感が残るんです。

もし重複に「じゅうふく」というルビをふったら、校閲者から厳しく指摘されますね。誤りだーと。それでも世間では「じゅうふく」と声に出して読む人は少なくない。正しさとはなんだろうとそっと目を閉じて考えるものです。

言葉は使われながら変化します。時代によって表現や読み方は変わります。古文なる教科が国語の試験問題に居座っているのはそのせいですよね。同じ日本語なのに読めないという不思議。

変化するのが当然という認識。それでも「正しい言葉、日本語」というルールも併存しています。これ難しい問題ですよね。変わるものと定められたもののバランスはどう取られているんでしょう?

遅きを「逸する」なんておかしいでしょ? と思う自分がおかしい?

いや、なぜこんな話を始めたのかというと、大手出版社のWEBメディアの記事タイトルにこの表記を見つけたんですよ。

「遅きに逸した」

我が目を疑いました。いや「失する」でしょ、明らかな誤用では…。しかし某ニュースサイトではこの記事のアクセスランキングがみるみる上昇。増えていくコメントでもこの違和感を指摘する声もなく。戸惑いました。なぜ…?(どの媒体の、どの記事かは伏せます)

軽くネットで調べても、「遅きは失するものです」と説明されています。

ところが、例の大手出版社の記事だけでなく、Twitterなどで検索すると出るわ出るわ。「逸している方」が多数発見されるのです。

推測ですが、「遅きに失する」と「機を逸する」が混同されて広まっていったのではないかと。しかし、もう世間では認定されているのか、自分の基準が通用しなくなったのか。疑心暗鬼になります。

いちおう言葉を扱う職業に従事している気になっていたのですが…。

不安になって作家に聞いてみた

この「逸失問題」、あまりにも心に引っ掛かってしまい救い(?)を求めてプロの作家さんにすがりました。ショートショートガーデンでお世話になってる田丸雅智さんです。こういう現象、どう思いますか?

田丸さん「うーん、これは難しい問題ですよねえ…。"荒(あら)らげる"と"荒(あら)げる"も声に出すと荒(あら)げるが使いやすいのですが、本来正しいのは前者ですしね。文章のリズムを考慮すると慣用されている言葉を使いたいケースもあります。それだけに、やはり編集さんの文章を整える力は頼りになります」

田丸さんは作風的にも造語を駆使することも多いですよね。田丸さんの代表作『海色の壜』。この本に収められた「海酒」なんかも。

新しく生まれた言葉を「正しくない」と切り捨ててしまったら、その時点でクリエイティビティが封じられてしまいます。なにせ創造とは本来「ゼロから1を生み出す作業」ですから。

だとすると、「正しい、間違っている」のラインはどこで引けばいいんでしょうか? 迷いは袋小路に…。

「作家に恥をかかせてはダメ」文芸編集者の言葉の重み

作家さんも頼もしく感じているという「編集者の基準」ってなんだろうかと。ぼくは文芸書を担当した経験がないので、これはもう本職に聞くしかない。

社名も個人名も出せませんが、某大手出版社で活躍するゴリゴリの文芸編集者に聞いてみました。超有名作家を数多く担当しているプロフェッショナル・オブ・プロフェッショナルです。

その方、「逸する」問題については「完全なる誤り」と即答し、「作家の原稿にこんなのがあったら赤字(修正)を入れなきゃダメ」と強い口調(ちょっと怒ってる?)。少し安心。

そしてもうひとつの問題。「創造とルール」の境界線、編集者としてどう考える? 

某編集者「作家に恥をかかせない。これは編集者の絶対的な役割。恥ずかしい表現だと世間から評価される可能性があれば指摘すべき!」

明快に言語化してくれて、目が醒めました。つまり、作家の作風やイメージを前提にあえて微妙な表現を使うという選択もあるわけです。明文化が難しいこういった判断を的確に行うのが編集者の役割なんですねー。何も考えずにいた自分がちょっと「恥ずかしい」と。

一般的な日本語ルールの確認に使える本

そんな高度な判断の前提として一般的な日本語のルールは踏まえておきたいところです。私が本の編集に携わるときはこんなものを使っていました。これは先輩方からすすめられたものです。

新聞の世界にも独特の表記ルールがあったりするのですが、新聞記者の基準は参考になります。辞書は言葉を五十音で純粋に網羅するものですが、このハンドブックは誤用されやすい言葉から不快語というテーマで掲載されているので、編集者のみならず広報のような対外的な文章を書く方にも参考になります。

社会的なルールを前提とし上で、作家さんや文章そのもののクリエイティビティも育てていく。当たり前のように見えますが、このバランスってやっぱり難しいです。

多くの作品に触れて、自分の感情はどう動くかを噛みしめて、他人の心はどう動く想像し、そんな思索を繰り返していくことで「正誤」といった画一的な基準ではない言葉の世界が見えてくるのだろうなと。

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さまとり
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