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再定義の美学【櫻坂46 UDAGAWA GENERATION 歌詞考察】
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Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah
Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah
何で?何で?何で?
意味不明 どうしてここにいちゃいけないの?
ここで騒ぐことすら 今じゃできなくなりました
ハロウィンなんかもうどうでもいい
浄化作戦 追い出されてしまう
渋谷のハロウィンイベント規制をモチーフに今まで出来たことが出来なくなる社会のホワイト化、ここで言う浄化作戦に反感を覚える若者のストーリー。
社会のホワイト化とはそれ自体はいい事でもあるが、「私」が渋谷=世界に求めることではなかった。
主人公の「私」とは社会から弾かれる側の人間として描かれる。
あの娘はWelcome 私はNG?
世間からは「Z世代」と一括りにされ「私個人」を誰も見てはくれない。
「疎外感」を感じている。
Z世代なんて言葉は誰かが作ったマーケティング 私は私だ Yeah Yeah Yeah
大人を見ても何も期待できない未来しかないなら、今が楽しければそれでいいんじゃない?と何も期待しない生き方をする。
とても合理的な考え方だ。
いついつまでも遊んでいたいよ
だって ずっと
他に何があるのか?
未来
ずっとこのまま しゃがんでいたいよ
だから 全然 夢なんか見たくない
何も
そこで生きるのを諦めているのかといえばそうではない。
この「UDAGAWA GENERATION」でもっとも本質的な歌詞とは「変わらないって最高じゃない?」だと思う。
その「開き直り」という手法を使って本来ネガティブに聞こえる「変わらない」がポジティブな言葉となる。
つまりは、櫻坂46が今まで繋いできた再出発(リスタート)のメッセージ性の連続性があり、ここでは他人(世間)から勝手に一括りにされるより私は私だと自分たちを自分たち自身で再定義する。
We are UDAGAWA GENERATION
今、このタイミングで櫻坂46の物語としてこの楽曲がリリースされる意味がある。
世界で唯一 退屈じゃない街
渋谷(宇田川町)で完結する欅坂46からのストーリーの連続性も感じさせる歌詞だ。
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何になりたいの?
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