秋元康が言語化してくれた「生きづらさ」の正体
今の若者は悟り世代と言われる。
どこか諦めているかのように上の世代からは無気力に見えるのかもしれない。
期待しない生き方、つまりは希望を持つこととは失望する事と同義だと皆気づいている。
そんないまいち将来が描けない、自分が何をしたいのかが分からない、そんなマインドセットになっている若者は多いと思う。
それは何故か。
答えは「月曜日の朝、スカートを切られた」の歌詞の中にある。
この電車を幸せ行きの電車だと仮定する。
だがその電車に乗ろうとしても既に満員。
各駅停車するので「平等」は実現している。
しかし、皆スタート地点が違うので「公平」ではない。
この上の世代が詰まっていて、上手くいってる人のマネをしたって当然だが上手くいくとは限らない。
この「上詰まり感」が生きづらさの正体だろう。
つまり、未開拓地が残されていない。
この意味で2010年代後半からのYouTubeという存在は今までのピラミッドが通用しない未開拓地であったので革命的な魅力があった。
しかし、その未開拓地も埋まってきた感がある。
だが、このYouTubeの登場のように、今までの常識が通用しない全く新しい未開拓地というのはまた出現するだろう。
なので今はどんなに辛くてもどうにかやり過ごして生きていくことが大切なのだと思う。
「Nobody's fault」の歌詞にある、
のようにもう既に成功者がいるところで頑張っても、そこは椅子取りゲームの連続で競走社会なのだから、チャンスがくるのを待って今はとにかくやり過ごすことが大切なのだ。