山下瞳月がセンターである必然性【櫻坂46 I want tomorrow to come 歌詞考察】
そのグループがやる、その人物がやる必然性のあるものはやっぱり強い。
何故なら納得感があるからだ。
その心理的なハードルを超えてはじめて本当のヒットソングになると思う。
6thシングル「Start over!」が何故それまでと一つ違う突き抜け方をしたかと言うと楽曲の「やり直す」というメッセージ性がグループ自体が持つ「再出発」の物語とリンクしたからだと思う。
発せられるエネルギーの違いがある気がする。
そして、今回の楽曲にも必然性があると考える。
何故なら、同じく山下瞳月がセンターを務める「静寂の暴力」の続きの物語であり、対比構造にもなっていると思うからだ。
続きの物語だと考える理由は、「静寂」=「暗闇」と歌詞の核は同じであり、対比構造になっていると考える理由は、主人公の姿勢が「受動的」から「能動的」になっていると思うからだ。
静寂の暴力の歌詞は全てがベッドの上で完結している。
欅坂46時代らしい0を掘り続ける歌詞だ。
そんな哲学的な歌詞であり自己完結型の歌詞にそもそも欅坂46の後継グループである櫻坂46がうたう必然性がある。
希望は最後まで出てこない。
IWTCの歌詞も暗闇(静寂)が怖くて、孤独であることが絶望に繋がっている。
死を恐れるがあまり明日来るか不安で部屋の灯りをつけたままにして暗闇を遠ざけて安心する。
つまりは明日が来てほしいのだ。
しかし考え方は前向きになっているが、未だ悩みの中にあり、明確な解決策はない。
そんな誰にでもある不安を抱えたままの中途半端な状態を表現し、それでも未来を信じる思いをメッセージ性として提示する。