そんな幻想抱いてるのは僕だけか【櫻坂46 油を注せ! 歌詞考察】
僕の思い込みと不器用さの物語
君と僕の恋の上手くいかない様を錆び付いた自転車をモチーフに表現する。
油を注せば錆び付いた自転車が動くように、いつも近くで大切にしていれば良かったと回想する。
そして出てくる考えが「出会った時から変わらないそんな幻想抱いてるのは僕だけか」であることを見るにこの主人公の僕は思い込みが強いきらいがある。
ここに垣間見える「不器用さ」がこの楽曲の本質なのかもしれない。
すでに色んなところで言われているが映画「タクシードライバー」のオマージュに思えるシーンがある。
この映画の一要素として主人公トラヴィスの彼なり勇気を出して、女性に何度も声を掛けるがそのやり方、距離の取り方がどうにも不器用であるシーンがあるが、その人物像がこの歌詞にも当てはまる気がする。
また別の見方をすれば油を注ぐという言葉には火に油を注げば火勢が強くなることから感情や行動などをさらに勢いづかせるという意味がある。
そう考えると今この櫻坂46として勢いづいているタイミングでBACKSがこの楽曲をうたうことに櫻坂46の物語としてとても意味のあることのように感じる。
そして全くの的外れかもしれないがキリスト教では「油を注ぐ」という表現があり、王や祭司の即位の際、油を頭にかける習慣があったことから「使命を帯びる」という意味があるようだ。
MVをみてみると、無表情で始まり徐々に表情が彩られていく流れをみるとそういったメッセージ性があるのかもしれない。
ミロのヴィーナスを最後はハンマーで叩き壊す。
そもそもミロのヴィーナスとは両腕がなく「想像力による全体への飛翔」を表現しているとされる。つまりは腕の部分が無いことで、全体像への想像をより掻き立てる力があると言われている。
そしてこのMVではそれに加え、目も布で隠されていてさらに体もなく、青いペンキか何かが涙のように滴れ落ちている。
それが何を意味しているのか。
それはアイドルとしての櫻坂46自身を表現しているのだと思う。
見えない部分を勝手に想像されて心ないことを言われることもある。
青には「若さ」のニュアンスもあることからこのミロのヴィーナスを最後に叩き壊すことで、そんなことを気にせずより高みへ進み続けるという強いメッセージ性があるように感じる。