それならずっと僕のことは数に入れないでよ【櫻坂46 隙間風よ 歌詞考察】
「優等生」の憂鬱
「完璧」の象徴として「雲ひとつない青空」を使い「僕」と対比させる。
それを「僕」は残酷だと言う。
何も無い空っぽな「僕」が浮き彫りとなるだけだ。
言い訳という逃げ場が無くなる。
そう思う理由は何故なのか。
普通に幸せな日々を送っているはずだ。
「過去」の象徴として「親とか教師」を使い、それらからの期待にもそれなりに応えてきたと言う。
何がそんなに不満なんだ。
そんなに差し迫った不幸なんて僕にはない。
でも何故か焦燥に駆られている。
今の自分に飽きている。
本当はそんな自分じゃない。
理想と現実との乖離を感じる。
自暴自棄気味な「僕」を描く。
隙間風とは何の言い換えか。
それは虚しさだと思う。
取り立てて言うほどの不幸はない自分に失望している。
その乾いた情景を表現し、その風はどこへ向かうのか。
「眩しいもの」とは成功者を指すのか。
ここでは「現実」の方がしっくりくる気がする。
一瞬だけ目を瞑って楽になろうとする。
「僕」は生きることを諦めかけている。
どこまでも傍観者の自分に嫌気がさしてくる。
当たっていないスポットライト。
ずっとその他大勢でいいのか。
心に吹く隙間風(虚しさ)の正体は社会から無視されている気がするこの感覚だ。
誰からも必要とされない。
居ても居なくてもいい存在。
ああなんてちっぽけな人生だ。
なのに頑張らないと生きていけない。
こっそり吸い込んだ希望の空気。
そう本当はやりたいことがまだまだあるだろう。
どんなに傷ついても、どんなに惨めでも前を向く。
生まれ変わり続けるしかない。
人生のスポットライトとは他者から当ててもらうものではない。
「どうせなら」という開き直りが最強だ。
完璧じゃない自分をも全肯定する。
ありのままでいい。
それが過去の乗り越え方だ。
雲ひとつない青空=平手友梨奈とすると小林由依の物語として面白いかもしれない。