最終的に「わたし」が決断したこと
「生き続けない選択を望む私」と「生き続ける選択を望む私」と「その狭間に板挟みになっている私」で、膝を突き合わせて自己対話をとことんしました。
こんなの生まれて初めてでした。
というか、こんな二極の選択を自分自身にさせるということは、そもそもはないですよね。
なぜ、生き続けたくないの…?
そう、問いかけてみました。
「ずっとずっと押さえつけられてた。もう自由にしてほしい。
ずっと私が本当にしたいことをさせて欲しかった。
ずっと自由が欲しかった。
ずっと私の声に耳を傾けて欲しかった。
ずっと嫌って言いたかった。
ずっと楽しくないって言いたかった。
ずっとずっと復讐してやりたかった…」
誰に?って聞いてみました。
「家族に、特に母親に…でも、一番言いたかったのは……私自身」
あぁ…そうだよなぁ…
ずっと母親が私にとっては鎖であり、足枷であり、檻だと思ってたけど、それ、全部自分自身で選択したことだから、母親のせいじゃない。
※注)私の母は言葉が足りない人ではありましたし、厳しい人でしたが、決して悪人でもないですし、愛情深い母親です。私自身も息子にとっては、厳しい鬼のような母だったと思います。なので、母に対しては、大切な存在で私が先回りして物事を捉える性質があった故、本当に言いたいことを言えず、自分で檻を、鎖を、足枷を作ってしまったということで、誤解しないでくださいね。
で、癌ほどのものを作らないと、これに気付けなかったんです。
ずっと、自己受容が出来ずにいたのです。
ずっと自分に許可を出してあげられてなかったんです。
でも、もうこれ以上このままでいると、私が「この世に生まれてやる必要があること」をやれないって、魂が思ったんでしょうね。
私自身、流産・離婚・シングルマザー等々、色々今まであまりやらなくても良い経験と言いますか、紆余曲折と言いますか、山あり谷ありの人生でしたが、それでも、何とかパワープレーでねじ伏せられてきたんですね。
ある意味、それだけパワフルさとタフネスな人間ということが言えるかもしれません。だから、それを止めるには、癌を作るしかなかったんです。
「本当に思っていることを言って良い…
本当の自分で居て良い…」
そこを気付くことができたので、「生き続けない選択を望む私」は、自己受容と自己許容をしてもらえたので、居なくなりました。
そして、その瞬間、やっと、「生き続ける選択を望む私」が安心して存在することができたのです。
「誰になる必要もない。
誰である必要もない。
私は私で在り続けていい。
私を生きよう」
そう自分に言えるようになりました。
私とやっと和解できたのです。
この出来事が起こったのは、実は、私の誕生日の前日でした。
新たな「私」を誕生させることができたのです。
静かな静かな状態で、私は私と共に私の新たな誕生日を迎えることができました。