一致はカオス

どんどん子どもが嫌いになっていっている気がする。

あのなんというか、
うるさくて、自分勝手で、わがままで、
ひたすら調子に乗っている感じ。

イエスさま話してるのに、周りでギャーギャーされたら、
そりゃ弟子たちも、子どものこと近づけたくないよな、って思った。

”いい子”がイエスさまのところに来たら、きっと、おいで〜と言っただろう。
弟子たちが拒んだのは、"問題児"にあたるタイプだったんじゃないかな。

でも、イエスさまは拒まないどころか、
天の国は、子どもたちのような者のところ。と言われる。
相当なカオスかもしれない。

というか、一つになるって、カオスなんだと思う。
今日は、インターナショナル合同礼拝があった。
日本語、中国語、英語礼拝部が合同で礼拝をした。

なんというか、カオスなのである。
スライドは、+韓国語だから、4言語が書かれていて、もうごちゃごちゃ。
賛美も、一つずつの言語で歌っていくんだけど、
途中でなんだかもうわからなくなってそれぞれの言語で歌ってる、
みたいな時もあった。

一つのところに集まり、
一つの対象に礼拝を捧げている。
でも、カオス。

初代教会、カオスだったんだろうなー。

それを、全員割礼受けます!
とか、全部英語でやります!
みたいな、わかりやすい、一つの規則みたいなものを作るのは、
簡単に”一致”を生み出すことができるし、
カオスを減らせるのだと思う。

だけど、それって、何かが失われている。
神様がバラバラにしたんだから。

カオスがカオスのまま、良しとされる、
美しいとされる、
そんな集まりって、存在しうるのかな。

そして、カオスが苦手な自分もいる。
秩序が好き。
穏やかさが好き。
結局は、自分がコントロールしたいんだな…。


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