幼児洗礼 World Christian History II ③

宗教改革期について学んでいる。
今日のテーマは幼児洗礼。
ルターのカテキズム、アナバプティストの信仰告白、ハイデルベルク教理問答、ウェストミンスター信仰基準、そしてカルヴァンのジュネーブカテキズムを読み比べた。(多すぎ!)

幼児洗礼についてよくわかっていなかったけど、
要は、洗礼は主が命じたものであり、主の言葉によるものであり、聖霊の働きによるものであるのだから、
洗礼を受けた幼児には聖霊が働き、主の言葉と教会に参与することになり、
これから成長するにつれ主が信仰告白へと導くことに信頼して授けるもの、
なのかなと。

自分がちゃんと信じてから、とか、
救いの確信を得てから、とか、
そういうのも大事かもしれないけど、それって根拠が自分側にあるとも取れるから、
幼児洗礼はとことん神様主導を求めた結果なのかな、と、資料を読んだ段階では思った。

けど、時代背景を後から知ったら、当時の教会は役所的な役割も持っていて、
幼児洗礼を受けることは、そのstateに登録されることだったと知り、
ンンンン、政治的要素強いな、となった。

幼児洗礼のみならず、洗礼は天国への住民登録ってことじゃだめかな。
留まることもできるし、外に行くこともできる。
でもどこに行こうとも、あなたの国籍は天国なんだよ。
だから、ずっといてもいいし、いたらいいし、どこかに行ってもいつでも戻ってくる場所はここなんだよ、という登録。

幼児洗礼を受けた人は、そこに留まる歩みをしたらいいし、
受けたけどどっか行っちゃった人は、周りの人が戻ってこれるようにサポートしたいし、
今まで流浪者だったけど、ようやく本当の居場所を見つけた、という人もいる。

どうでしょうか、この理解。

旧約の割礼が、新約では幼児洗礼にとって変わった、ということをルターもカルヴァンも言っていて、
面白いなあと思った。
人間、目にみえる印が必要ってこと?
確かに、印ってありがたいよなあ。

授業では、資料を読んでディスカッションをした。
幼児洗礼受けたけど、反対してる、という人もいれば、
はなから反対の人、
いいと思うけどなーって人、
色々いたからよかった。

もっと喋れるようになりたいなー。


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