伝える面倒

人間関係は複雑。

一つのことを、
言うか言わないか、
直接言うか、誰かを通して言うか、
電話で言うか、LINEにするか、
いつ言うか…

たったその一つのことを言うために、
あれこれ考えて、配慮して、思いを汲んで…
ということが必要な時がある。

失敗、はないのかもしれないけれど、
たまたまタイミングが悪かったり、
制御できない第三者の言動があったり、
ついには言い出せなかったり、
そういうのも含めて、関係が拗れてしまうことがある。

いや、もしかしたらこっちの考えすぎなのかもしれないけれど、
やはり、”関係”である以上、お互いが作用し合うのだから、
こちらの態度も大切であろう。

結局、愛の問題なのだと思う。
愛を伝える。
愛する。
その愛を、相手がどう受け取るかを、こちらは手放す必要がある。

わかっていても、難しい。
自分の心に押し寄せてくる相手の気持ちを、
無視すること、相手は相手と割り切ることは容易ではない。

悔い改めの祈りをした時、
イエス様はどんなことを思っておられるのだろうか。
悲しまれているのだろうか。
怒りを覚えているのだろうか。
呆れていてもおかしくない。
けど、よく言ってくれたねと、愛を返してくれるのだと思う。

イエス様も、人も、愛してくれるから、関係を結べるのである。
愛してくれない相手とは、一方通行で、関係とは呼び難いから。
ありがたい限り。


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