
担当学芸員コメント 吉田絵美
短歌を詠むダンサー/振付家として活動する涌田悠は、「日常生活とアートの“あわい”」に着目したテーマを設定し、世田谷美術館での滞在を開始しました。滞在期間を経て、涌田の活動は「アートと何か」というアーティストとしての根源的な問いに接続するものであったと感じています。近年、街中など劇場空間に限らない場で、ときに他者と協働し、身体と言葉による表現を追究している涌田。この記事では、そのような取り組みを「美術館」で展開し、テーマに対する考えが変化していったこと、また、涌田の試みによってもたらされた新たな鑑賞体験について振り返ります。
・「日常生活とアート」の“あわい”から“混在”へ
涌田は滞在を進める中で、「日常生活とアートをつなぐ”あわい”に何かが存在しているのではないか」という仮定から、「日常生活とアート、そして自然など様々な事象が、複雑に混在している状況があるのではないか」と考えを変化させていきます。滞在中、涌田は美術館の建築や展示作品、また館を利用する人々や働く人々など、それぞれにアプローチし多角的なリサーチを試みました。ここでは特筆すべき点として2点挙げたいと思います。
1点目は、「館を利用する人々」に対するアプローチについて。涌田は、世田谷美術館の特徴的な普及活動である「美術鑑賞教室」で、小学生の子どもたちと大人(美術館ボランティア「鑑賞リーダー」)が同じような目線で作品を鑑賞する様子に立ち会っています。そこでは、知識での理解よりもまず身体感覚で鑑賞し、素直な反応や感動があらわになっている印象的な場面に遭遇しました。さらに、数名の鑑賞リーダーの方に依頼したインタビューでは、普及活動のもう一つの特徴である「美術大学」で実技の授業を受け、その後も作品制作を続けている方、どなたでも気軽に制作を楽しむことができる企画「100円ワークショップ」の立ち上げに大きくかかわった方に出会います。日常会話の延長にあるような鑑賞の雰囲気、そして創作のエネルギーにも触れ、涌田はテーマに対する大きなヒントを得ていたことでしょう。
涌田は美術館で日々活動する人々にかかわるうち、世田谷美術館は「誰もが日常と地続きでアートに出会うことができ、表現者になることもできる」場として機能していると感じ、そのようなアートの在り方を「ふっくらとしたアート」と表現しています。「日常生活とアートは“混在”している」という考えに至る様々な要素が、美術館を利用する人々の姿にありました。
2点目は、美術館建築や展示作品に対してです。涌田は何度も建築や作品と向き合い、視覚のみならず身体感覚全体での鑑賞体験を重ねます。涌田自身が“魂の震え“と喩えるその感動を結晶化させ、多くの短歌を生み出しました。館内の高い位置に設計された窓にふと視線を向けると、公園の深い緑や空模様が覗えること、庭園の木々の中に彫刻作品が長い時を超え佇んでいることなどの感嘆を、短歌に認めています。それらの表現は、日常生活とアートの関係において「自然」が揺るがない存在として横たわっていることを強く意識させます。館の職員である自身としても、開館当初からの理念である「ARS CUM NATURA AD SALUTEM CONSPIRAT―芸術と自然はひそかに協力して人間を健全にする―」を、短歌によって実感し再認識することとなりました。
美術館で、舞台芸術とは異なるジャンルの作品に幾度となく触れながらも、涌田が一貫して身体と言葉の往還を繰り返したことは、「日常生活とアートは“混在”している」という考えをより深化させることとなったと感じています。
・鑑賞体験における「味わい」と、表現が生まれるところ
身体感覚を研ぎ澄ませて鑑賞する体験を、涌田は「味わう」と表現しています。涌田はこの「味わう」体験を単独リサーチにとどめるのではなく、オープンデーでのワークショップ(11月17日実施)で参加者にも促しました。その試みは、新たな鑑賞体験ともいえるような時間でした。
たとえば、あたたかな陽の光が差し込む昼下がり、全面ガラス張りの廊下(通称・昼の廊下)に並ぶ椅子から屋外庭園を眺め、白昼夢のような心地に包まれる。あるいは、吹き抜けになっているエントランス・ホールの2階で美術館の日常の音に耳を傾け、鯨の胎内にいるかのような響きを感じる。天井から微かに光が入り込む構造の、静寂な雰囲気の廊下(通称・夜の廊下)の床に座ったり、寝そべったり、ただ通行する時とは異なる体勢で空間全体を鑑賞する。庭園のクヌギの木の枝や葉を触るようなイメージで、腕を上げて指でゆっくりなぞる。以上のように美術館にじっくりと身を置いて鑑賞することは、まさに「味わう」といえる行為でした。そして、新たな気づきとして記しておきたいのは、この行為がダンスの振る舞いにもみえるような、ダンスの起源ともいえるような、プリミティブな光景にもみえたことです。表現が生まれる(かもしれない)瞬間と思えるような場面に立ち会うことができました。

言うまでもなくアートを享受するための施設である「美術館」で、アートの礎、アートたらしめているものは一体何であるのかを今一度考える。その過程で、鑑賞体験の原点や創作に向かうエネルギーを探る。滞在中の涌田の活動はどれも「アートとはなにか」という問いに収斂されていくものでした。
本プログラムも3年目を終え、舞台芸術や身体表現にかかわるアーティストの美術館でのレジデンスは、ジャンルを越境したあらゆる作品やそこにかかわる人々との出会いを受けて、新たな実験へのモチベーションを高めうる、ということを確信しつつあります。また、かつてない表現や創作につながる長期的可能性も感じ、アーティストの活動を後押しする役割として大きく意義を感じた15日間でした。

テキスト:吉田絵美(主担当学芸員 / 世田谷美術館)
写真:加藤甫
#世田谷美術館
#砧公園
#アーティストインレジデンス
#アーティスト・イン・レジデンス
#アートネットワーク・ジャパン
#Performance_Residence_in_Museum
#涌田悠