演劇的人生加速論7
こんにちは。
そもそも、演劇的人生加速論って?
と思われる方も多いかと思います。その点について書いてみたいと思います。
なぜ「加速論」というテーマにしているかというと、
リアリズム演技においては「演技とは、想像の設定で真実に生きること」なので、俳優は、ある設定の世界の中で、自分とは別の考えや生い立ちや人間関係を持った人物として生きることができます。
そして、その人物の設定(人生でいうところのブループリント)を理解し、どんなできごとが起こり、それがどんな結果をもたらし、最終的に何を得たり、失ったりするのか?という、ある地点までの結末を知っています。
俳優は、物語の途中で演じる人物がどんな感情を味わうのか?を基本的に知っているのです。
そして、非常に大切なことですが、物語の中でその人物が何を欲しているのか、必要としているのか?を理解し、それを手に入れるために行動することが俳優が演じるためにしているプロセスになります。
これが実際の人生になると、
設定(ブループリント)も、
あるできごとの結果も、
あるできごとによって得たり、失ったりすることも、
味わう感情も、
よく分からないことが多いです。
最終的には、人は肉体の死を迎えることだけは確かですが。
何を欲しているのか?
必要としているのか?
この二つがクリアな人は、行動に移していることが多いですが、なかなか分からないという人も多くいると思います。
演技は、想像の設定の人生を生きることで「客観的に、主観的な人生を体験できる」という結構稀有な経験をすることができます。
その上、かなり感情が揺すぶられるので大変な思いはしますが、人と繋がったり、裏切られたり、怒りをぶちまけたりと日常で社会性に覆われて表現できなかったり、自分で感じないようにしている深い感情を経験することで、自分自身の中にある深い存在とアクセスすることができることもあります。
そしてリハーサルを通して、目的(欲しいもの、必要とするもの、達成したいもの)が正しいのかを検証し、それを手に入れるための行動を試し、相手との交流の中で、行動の微調整を行いながら手に入れようとする過程において、日常生活ではなかなか経験しない感情を味わうのです。
大事なことは、それらの体験をしても自分自身は変わりなく安全であるということです。
(時々、ハリウッドのスターが薬物やアルコールなどに依存してしまう事件が起きるのは、あまりに深く世界に入り込み過ぎて、戻れなくなったりバランスを崩してしまうことがあるからです。)
本来、人生においても「本当の自分は何があっても大丈夫」ということが「源とつながっている限り」は実感できるのですが、本来の自分である源とつながること、そしてつながり続けることが非常に難しいように思われます。
人によっては、今述べていることも「なんのことやら?」という方もいるかと思われます。
演技は、その行為の中で「究極の真実」にたどりつければ、「本来の自己、源」とつながる経験をすることもできる可能性があり、それは人間を解放に導いていく力があるのです。
これが人生を加速させていく感覚がある気がするので、「人生加速論」としてみました。
説明が長いですね^ ^
お付き合いいただき、ありがとうございます😊
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