静けさの中で
母が亡くなった。突然だった。
連絡を受けた翌日、眠れない夜が明けぬうちに飛行機に乗り地元へと帰った。
1ヶ月半振りに母の顔を見た。母は、冷たく硬い頬のまま棺桶に眠っていた。
母とはあまり気が合わず、衝突することが多かった。それでも、一人暮らしを始めてからは母に感謝の気持ちでいっぱいになり、自分の過去が間違いではなかったと思えるようになった。
母に約束したことは何も果たせないままでいた。
伝えたかったことも伝えられていなかった。
耳からお経が聞こえるが、頭の中は後悔の念でいっぱいだった。
葬儀はとても苦しかった。
お棺に収まった母の顔は今でも忘れられない。
死とは、予め知らされると思っていた。
心の準備が出来るものだと思っていた。
連絡を受けてから、母はどこで亡くなったのか?いつ亡くなったのか? どのようにして亡くなったのか?なぜ亡くならなければいけなかったのだろうか?と頭が混乱する。この世に母が居ないということがよく分からなくなる。
夜、電気を消して横になると、母の死の連絡を受けた夜に記憶が戻る。
母の死までの時間を頭の中で再現してしまう。
何度もするそれは、ひとつひとつが異なりまた再現される。
友人や周りの人には、あらゆる場面であらゆる言葉に救われた。しかし、またすぐに悲しく寂しくなり、気持ちが溢れてしまう。
大丈夫だといつか思える日は来るかもしれない。だけど、それは時間が解決するのだろうか?
人の優しさが解決するのだろうか?
母のいる未来を想像していた分、母のいない未来を生きることが嫌になる。
母は闘病をしていたわけではなかったが、少しの違和感を誰にも頼らずに亡くなった。
もし、この記事を読んでくれた人が自身をそして周りの人を大切に思えるのなら、少しでも違和感を感じた時は誰かを、そして医療を頼ってほしい。
大丈夫だと思わないで、大切なものを守ってほしい。
親にあの時はごめんと言えなかった子どもは、今からでも言えるうちに言葉にして伝えてほしい。
母へ
お弁当を食べない日があってごめんね。好き嫌いばかりしてごめん。ひどい言葉も使ったかもしれない。だけど、母が開いてくれたインドネシアへの道がとても面白くて感謝しているよ。
ずっと伝えられなかったけど、ありがとう。