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父の日
先日、図書館に行った帰りのこと。空腹に襲われ、ポテトの香りに誘われるままマクドナルドへ入った。
店内はやはり若い人が多かった。学校帰りであろう高校生、ひとりでケータイ片手に過ごす人、カップル…など、コロナ禍であっても客層は以前と変わりないように思った。
そんな中、ある親子の姿が目に入った。小学生くらいの女の子を連れたお父さん、親子だ。
ふと、自分が小学生の頃を思い出した。
日曜日には父とよく映画へ行っていた。映画が始まる前には必ずマクドナルドで食事をし、ハッピーセットのおもちゃをかばんに入れてから映画館へ向かうのだ。
普段ファミレスなどに入りたがらない父だったが、マクドナルドへだけは連れていってくれた。また、お菓子は母に禁止されていたため、ポテトチップスなど滅多に口にできず、マクドナルドで食べるしょっぱいポテトはとても美味しく、特別に感じていた。
父とは二人でもよく出かけた。正月も職場へ行くほど家にあまりいない父だったが、二人で食事に行ったり海外へも行ったことがあった。
当時の私は、その貴重さに気づけていなかった。
地元の映画館へ行くと友人に会うかもしれず、父と二人でいるところをあまり見られたくなく、後ろめたい気持ちがあった。海外へ行っても父は仕事があったので、ひとりで過ごす時間をつまらなく思っていたところがあった。一緒にいるのに父のことを大切にできずにいたところがあったのだ。
でも、父は世界で1番大切な人だ。恋人がいても父が1番大切で、憧れの人がいても父を1番尊敬している。
父は「多くを語らず、種を撒く人」のようだと思う。
父の意図することを上手く掬いとらなければいけないが、挑戦したいと思う気持ちをいつも大事にしてくれた。そのおかげで、実際には手の届かないものでも、「無理だ」とは言わず、だからといって「こうしろ」なども言わなかったが、考える力を与えてくれ、結果手にすることが出来てきたように思う。
そして、周りからどう見られたいかではなく、自分がどうしたいかということを優先するようにいつも言っていた。
普通の人とは違う人生を選んだ父にとって、「自分がどうしたいか」というのはいつも父にとって正解だったのだろう。
私もそう思う。友人付き合いを上手くしたくて、周りに合わせた時期もあったが、今やりたいことをしている方が楽しい。きっとこんな私を周りの人は「何やってんだか」って呆れるかもしれない。だけど、それでいい。
しっかりと父の血を引き継いだ私は、こんなこと父に直接は言えないが、父が大好きだ。
世界中のお父さんに幸あれ。