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「女性が活躍できる社会」に対するいくつかの違和感

近年、「女性が活躍できる社会」という言葉をよく目にする。「能力があっても働けない」や「やりたいことを実現できない」という女性の境遇を変えるべく「女性が活躍できる社会」が主張されるようになった。

そして現在は、各企業が「女性が活躍できる社会」について真剣に考え、実現に向けて取り組んでいる。
就職活動や転職活動を考えている人向けに作られたサイトでは、どれだけ女性の活躍や働きやすさを重視しているかをアピールする会社も少なくない。

他方で、女性を卑下する発言にはとても敏感になった。先日もオリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長である森喜朗氏の発言が問題になった。
しかし、ここで違和感を感じた。「どうして男性を卑下するような発言は問題にならないのか」だ。学校やアルバイトでも誰しも聞いたことがあるのではないだろうか。「男のくせにできない」という発言を。また、男だったらちょっとやそっとのことでは傷つかないからキツく当たってもいいだろうという考えの人もいる。

さらに、この「女性が活躍できる社会」を実現する活動の中、女性に対する期待が高まっているように感じる。女性はもっと活躍できるんだ、女性はもっと強いんだと言われているような気がして、そうしなければダメだと。男性と同じ位置にいかなきゃ、と思うことがよくある。

昔、私の夢は結婚してパートタイムで働きながら家事をすることだった。家族に温かいごはんを作り、日光の香りがする洋服を畳むのだ。そうして、幸せな家庭を築く。

しかし、「女性が活躍できる社会」こそが正しいように思われている中、男性の収入に頼るような生活を望んでいることを話すと「え」と言われた。私は何も「女性が活躍できる社会」に対して諦めているわけではなかったのに。

「家事は女性のするものだ」「男性は外に出て働かなければいけない」という考えに対して私は反対だ。別に男性が家事をしても、女性が外に出て働いていてもいいと思う。

ただ、男女平等を目指す中で「どちらかしか優れていない」という考えにとても違和感を覚える。

なぜか、「女性が弱い立場」という印象が消えないのだ。

本当に目指すべき男女平等の社会とは何だろう?

私は強くない。女性の強さをアピールすることはできないが、男性の弱さを知ることで男女平等社会に近づければと願う。

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