過干渉に挑む・・②人にあげてもいいんだ!
こんにちは。
50代半ばの私が、80歳の母の過干渉から未だに抜け出せなくて、
あれこれ試している状況を書いています。
母の話をたくさんすることになりますが、これは、愚痴ではなく、
私がどのように捉えて、なぜ辛くなっているのか。
そのことが私にどんな影響を 与えているのかを
日々の記録として残したいなと思っています。
母の過干渉エピソードを人に話すと、反応は2つに分かれます。
①うらやましい。苦しい意味がわからない。
②さすがに度がすぎている。辛いだろう。
この真逆の2つの反応・・
②の反応「あなたのお母さん重すぎる。それはやりすぎだ。辛いだろう」を言う人は少数です。
母を知る人は、
「良いお母さん」
「そこまでしてくれるなんてなんてうらやましい」
が普通の反応であり、私もそう思い込んでいました。
でも今は、母が度を越していると感じています。
前回書いた通り、両親と同居し始めてから
食欲がなくなりました。
母にも「食べられない」と繰り返し伝え、理解されたと思っていました。
ところが今朝、出がけに水筒を渡されました。
中には、冷やした甘酒がなみなみ入っていました。
「朝、食欲がないって言うから、これなら飲めると思って」
と言って渡されました。
前の晩に母が、甘酒を、鍋いっぱいに作っていたのを私は見た時は、
美味しそうだなと思いましたし、母にもそう言いました。
そこで、「良かったら飲んでね」と言ってもらえたらよかった。
それが、次の日、冷やしてあって、水筒になみなみ入っていて、
「朝ご飯が食べられないと思って。これなら飲めると思ってたくさん作ったから少しでもいいから飲んで。冷やしておいたから。氷も入れたから」
と言われると、圧を感じます。
量も選べない。残せない。好意を無にしてはいけない・・
そして、その瞬間フラッシュバックします。
母はいつも、紙パックの飲み物を渡すときに、ストローを挿して渡してくる。
胃薬ある?と聞くと、口を切って渡してくる。
そういった、日々のやりすぎ案件が、ばーっと思い浮かび、まただ・・と思います。
何となく見張られてる感じ。行動を制限されてる感じ。自由に出来ず、母のペースで進めなくてはいけないという勝手な圧が、重くのしかかります。
でも、今日、試しにやってみたことがあります。
「ありがとう」
と明るく水筒を受け取り、職場で甘酒を人に配りました。
「自分で飲まず、あげちゃえばいいんだよ♪」と教えてくれた人がいて、
実践してみたら、
周りからは喜ばれるし、私の精神的負担が軽くなりました。
その発想は全くなかった私・・
帰ってから母に
「ありがとう。て明日は自分で水筒に入るから、やらないで」と伝えました。
明日の朝どうなっているかな?伝わるかな?