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断髪小説『敗戦』

あらすじ

試合に負けた悔しさのあまり、願掛けで伸ばしていた髪にハサミを・・・。

小説情報

文字数  :4,813文字
断髪レベル:★★★★☆
キーワード:柔道、セルフカット、床屋
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本文

 負けた。試合時間が残り一分を切っていた。えりをとって得意の内股うちまたを仕掛けた。しかし、嫌な予感がしたときにはもう遅かった。対戦相手から釣り手を引かれて、気付けば畳の上だった。それが体落たいおとしと知ったのは試合が終わった後だった。かろうじて判定は技ありだったが、残り時間での反撃は叶わなかった。

 技を仕掛けるのを焦らなければ、誘い込まれているかもしれないと気をつけていれば、何を言っても、たらればの言い訳に過ぎなかった。

 大学のコーチからは「攻めた結果だ。悔しいだろうが、頭を切り替えろ。」と声をかけられたが、何の慰めにもならない。軽量級の代表権を争っている最中だ。絶対に勝つのだとこの大会に賭けていた。



 寮の自室に戻っても、負けた瞬間を思い出す。悔しくて叫び出したい衝動に駆られた。負けたのは自身の問題でそんな事をしても意味はないのは分かっていた。頭を冷やそうとお風呂場で冷水を浴びた。先程より冷静になったが、だた寒かっただけで頭を切り替えられなかった。

 自室でふと鏡に自分の姿が映った。凄い顔をしていた。眉間には皺が深く刻まれ、跡が定着しそうだ。寮で誰かとすれ違っても機嫌が悪いのだろうと避けられる様な形相ぎょうそうだった。

――願掛けで髪も伸ばしてたのに。意味なかったな

 代表権を必ず取るのだと、一年前からショートにしていた髪を伸ばしていた。今では肩につき結べるくらいに伸びている。先輩の中には気合を入れるために切れと言う人もいたが、願掛けと自分に言い聞かせて伸ばし続けた。

――こんな髪、いらない

 ハサミを手に持っていた。



『ジョキ、ジョキ…ジャキン』

 左手で髪を適当に掴み、そして切る。長くなっている髪を手で掴んでは、ハサミで切るのを繰り返す。

『ジョキン…ジャキ、ジャキ、』

 肩に伸びる長い髪に留まらず、後頭部や耳の上も手で掴めそうな髪は片っ端から短くしていく。時折地肌にハサミが触れる感触がしたが、気にせず切っていった。

 願掛けの効果のない髪なんて無くなればいいのにと、怒りに任せて一心不乱に切った。願掛けを信じる様な弱い自分がもう嫌だった。気付けばトップの髪以外はまるで揺れない散切り頭になっていた。掴める髪はほとんどなくなっていた。

 髪を切るのも疲れてきて、ハサミを机の上に投げ捨てるように置いた。床に散らばった、切った後の髪を片付ける事もせず、そのまま眠った。



 翌日、いつも通りの時間に目が覚めた。体を起こすと頭の軽さが妙に気になった。ベッドから降りると床に散らばっている黒いものが目に入った。

――なにこれ?

 壁にかかっている鏡に自分が写っていた。不揃いな散切り頭だった。

――えっ?この頭なに?

 今の自分の姿がよく分からなかった。頭に手をやると、髪がほとんど掴めそうになかった。床に落ちている黒い物体は髪だと気付いた。

――そういえば昨日、怒りに任せて……

 昨日の夜、自分がした事を思い出してきた。一晩寝て、頭が冷えたようだ。とんでもない事を仕出かしたらしい。今の自分の姿ではとても人前に出れそうになかった。

――うそっ。どうしよう。今日、これから練習があるのに……

 大学での練習は朝からあった。サボる訳にはいかないだろう。それにここは寮で朝御飯は共同の食堂になる。つまり、髪を整える事も出来ずに人前にでなければならないと言う事だった。後悔しかなかった。



 食堂には頭にタオルを巻いていった。知り合いとすれ違うと声を掛けられた。

「どうした?タオルなんか巻いて」
「髪がなかなか乾かなくて……」

 適当に思いついた言い訳を言う。もちろん嘘だった。

「だから前から短くしろって言ってんだろう」
「そうっすね」

 何とか聞き流してやり過ごす。こんな会話はいつもの事だったので、慣れていた。

 食堂はそれで何とか誤魔化せた。自室でどうにか髪を整えられないかと鏡の前で格闘したが、徒労に終わった。時間もない。仕方なしに腹を括ってザンバラな頭のまま練習場へと向かった。足取りは物凄く重かった。胃も痛い。吐きそうだ。こんな事は初めてだった。



 道着に着替えて、意を決して練習場へ入る。各々が準備運動をしているようだ。隅の方で目立たないようにしていたつもりだったが、どうやらすぐに見咎められたらしい。あちこちから視線を感じる。気にしないフリをして適当に準備体操を始めるが、内心はバクバクと心臓がうるさく、すぐにここから出て行きたいくらいだった。

「ちょっとこっちに来い!」

 頭上から聞き慣れたよく通る声がした。見上げると何故かコーチが近くに立っていた。腕を持ち上げられて、引き摺られるように練習場から連れ出された。

「それ、自分でやったのか?」

 練習場のすぐ外でコーチは仁王立ちで詰問してくる。正直逃げ出したい。角刈りで体が縦にも横にも大きく、目つきも鋭いコーチは間近に来ると圧を感じ、萎縮してしまう。

「はい……」 
「昨日のでか?」

 多分、試合で負けた事を言っているのだろう。

「はい。気付いたらやってました」

 素直に認めた。コーチははぁぁと盛大に溜息を吐いたようだ。

「そんな事をしても意味ないだろう」
「……」

 何も言えなかった。その通りだと思う。

「……仕方ない。ついて来い。他の奴らの士気に影響する」

 コーチはスタスタと歩き出した。置いて行かれないように小走りでついて行った。



 着いた先は大学から程近い床屋だった。部員の何人かが使っているのは聞いていた。

 カランカランと音を立てて、コーチが扉を開けている。

「まだ開店前だよ、ってあんたさんか」
「すみません。朝早くに。この子に気合を入れてやってほしくて」

 店の開店準備をしていたらしい、初老を迎えたくらいの男性が声を掛けてくる。どうやら二人は顔見知りらしい。

 コーチに腕をぐいっと引かれて、ずいと前に出された。

「こりゃあ、随分と派手にやったなぁ」

 驚いたような声だった。そりゃそうだろう。不揃いな髪だ。恥ずかしくてひたすら俯く。やったのは自分だ。何も言い出せなかった。

「無理は重々承知です。お願いします」
「ま、ええわ。嬢ちゃんこっちに座り」
「終わったら、戻って来い。じゃあお願いします」
「はいはい、分かったよ。Tシャツは着てるか? 上の道着は預かるよ」

 コーチは店から出て行った。この店の店主から言われた通り、道着を脱ぎ、椅子へ座った。



 頭をグイと押し下げられたりする。頭に店主の目線を感じる。すごく見られてる気がする。

「こりゃあ刈るしかないなぁ」

――えっ? 刈るって

 鏡に映った自分の姿を見た。正面から見てもかなり短く切った箇所が散見される。確かに刈るしかなさそうだと妙に納得した。

 幾何学模様のカットクロスとネックシャッターを付けられた。地味に肩が重い。

 ビィーンとモーターの音が背後から聞こえる。頭再びをグイと下げられて、襟足からバリカンが入ってきた。

『ジジ、ザリザリザリ……』

 バリカンは高校生以来だ。久々に聞くモーターの独特な音と頭に伝わってくる振動でピクッと肩が竦む。

――やだっ、刈り上げられてるっ

『ザザッ……ザリザリザリ』

 何度も襟足からバリカンが入ってくる。パサパサと数センチくらいの髪が肩に積もってくる。

――あー、やっちゃったな……

 刈り上げるのが嫌だった反動で大学に入ってからは伸ばしていた。また刈り上げる日が来るとは思っていなかった。

 段々と上の方へとバリカンが入っている感触がする。高校生の時にここまで刈り上げたことはない。

 不意にバリカンの音が止まった。

「これでもまだ長いか」

――えっ? 長いって

 後頭部のあたりはスースーしてきていて、かなり刈り上げられていることは分かる。店主はバリカンをアタッチメントを操作しているようだ。

「いつもここに来る子達より短くなるけど、仕方ないねぇ」

 それだけを言うと、再び襟足からバリカンを入れられた。

――ちょっ、他より短いって……

 女子部員はせいぜい刈り上げのショートだが、男子部員の大半はスポーツ刈りか角刈りだ。それでも決して長い刈り上げではなかったはずだ。

 店主はこちらの動揺とは関係なく後頭部を短く刈っているようだ。大体眉の高さ辺りまで刈られてる感じがした。

 後ろを終えたのか耳の上にバリカンが入ってきた。鏡から見える場所だ。バリカンが通った後はうっすらと青い。地肌が透けて見えるようだ。

――うわっ!こんなに青々しいなんて……

 触ったらジョリジョリしそうというよりか、ペチペチと音がしそうだ。さっき店主が言った通り、男子部員よりも短い刈り上げだった。反対側も同じように刈られていった。



 店主はバリカンを置き、ハサミに持ち替えている。櫛を地肌に当てながらチャキチャキと音がしている。

――はぁ……。絶対これ、スポーツ刈りになるやつだ……

 櫛とハサミの位置はさっきの刈り上げたところよりも上に来ていた。こめかみを通り越してつむじの付近もハサミで刈り上げられているようだ。

 昨日、自分で滅茶苦茶に切ったことを後悔するしかなかった。チャキチャキと店主のハサミは止まる気配がなかった。
 
「昨日の嬢ちゃんの試合、そこのテレビで見てたよ」

 視線だけでテレビの場所を教えてくれる。後ろの待合の椅子の近くに置いてあった。

「……情けない試合をしてしまって」
「そうだったかの? ワシには詳しいことは分からんが、嬢ちゃんの柔道はワクワクしたよ」
「え?」
「最後まで逃げずに一本を取ろうとしておったな。テレビから目が離せなんだ」
「……でも負けは負けです」
「残念じゃったな」
「はい……」
「じゃから、次は勝てるように必勝の角刈りにしておるぞ」
「えぇっ!?」
「ワシは昔から角刈りが一番得意でな。効果は抜群じゃ。次は一本勝ち間違いなしじゃ」
 
 店主は得意げな顔で言っていた。こちらの返事も待たずハサミを入れられていった。

――ちょっ、角刈りって、スポーツ刈りよりも恥ずかしいんですけどっ!

 トップも前髪もツンツンと真上に立つように短く切られていった。上に立ち上がった髪は直角に角ができており、ピシッと聞こえてきそうなくらい、横一線に切り揃っていた。



「しまいじゃ。スッキリして気合が入ったじゃろう」

 きっちり襟剃りも顔剃りもされた。明らかに男子部員よりも短く刈り込まれた角刈りになっていた。これではどこから見ても勇ましい男の人だ。ねじり鉢巻きをして、べらんめぇ口調で話したら、さしずめ下町江戸っ子の完成だ。引き攣った笑いしかでなかった。

「……は、はは。あ、ありがとうございました」

 椅子から降りて、ハンガーに掛けてあった道着を羽織る。頭が軽すぎて首が座らない感じがどうにも心許ない。

――そういえばお財布持ってないや……

 コーチに連れられてきたから、そこまで気が回らなかった。

「あ、あのぅお代なんですけど……」
「あぁ、ツケとくよ」
「すみません。後で持ってきますから」

 頭が軽すぎて勢いよくお辞儀をしてしまった。

「いい、いい。次の試合前にまた来なさい。同じようにやったるから。キレイに刈れておるじゃろ」

 得意げな顔で言われた。今回限りで角刈りは勘弁なのだが、断れそうになかった。

「……分かりました。ありがとうございました」

 引き攣った顔のままそう言って、店を後にした。頭に直接当たる風が冷たかった。手で覆わないと風邪を引きそうだった。こんなことになるなら、二度と自分で髪は切るまいと思った。

 店主の言っていた必勝の角刈りの効果は抜群だった。試合前にこの床屋で気合を入れてもらうと負けなかった。そのお陰もあり、代表権も無事に取れた。

 角刈りは嫌で仕方なかったが、現役中は験担ぎで通うしかなかった。部員達には毎回「大将! 男前!」と揶揄われたが、角刈りにして勝てるなら安いもの……とは、簡単に割り切れなかった。

後書き

オリンピック期間中に書いたまま置いてありました。開催中に負ける話を載せるのはと気が引けまして。

刈り上げは理容師の基本と言う人もいますが、昔からある理髪店は角刈りが得意なんじゃないかとふと思いたって、今回の話に行きつきました。当初の予定はスポーツ刈りでしたね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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