見出し画像

103万円の壁どころじゃ無い米国の話 その1

もう誰もが知っている米国の過酷な格差社会の話がありますよね。これね。私も20年前の20代の頃はね。

社会が悪い!どうして政府は弱者を助けないの!?

って側でした。
もちろん弱者を助けないといけません。今でもそうです。でも考えが変わってきたのは米国生活5年目くらいかなあ。すっかり馴染んで、想像を超える米国社会の現実に向き合い始めた頃かねえ。

もしかして政治に期待してもダメなんじゃ…。

団塊ジュニア&氷河期の私は、在学中にオウム事件、日本のバブル崩壊。脱出した米国で9.11、サブプライムによるハウジングバブル。学費高騰と若者の苦労(&少子化)もここから加速。

さすがに気が付くわ。笑

んで、オカシイだろ?って色々と学び始めるんです。自分は助ける側になりたいから。2005年前後かねえ。

でもむしろ自分自身がオカシイ人だから、

当時から周りに理解されませんでした。
夫も結構ぶっ飛んでる系ではあるのですが、さすがに当時はついて来れませんでした。

ここで政治や経済も勉強し始め、投資やサバイバルのプランも立て始めるんですよ。
リバタリアンっぽくなってきたのもこの辺ですし、水耕栽培を始めたのもこの頃です。今はこういうキットを使っていますが、

毎日レタスパリパリで長持ち

若い時はまだLEDも無くて、アパートに置けるコンパクトなのをホームセンターで売っているパーツで自作して、水に混ぜる肥料も勉強してブレンドしてました。

お陰で警察に疑われた

ちなみに最近は農業を学び始めています。やっと時代が来ました。農業土木も勉強しなくては…。

なんとここから、私は突然…

駐妻になるんです。
夫の転勤で。東京で。

103万円の壁はもちろん、世界中追っかけてくる米国の課税問題とか、色々あってさ。

ビザの問題無いのに働き損状態になるんです。

それでも真面目な私は、折角日本で奥様やれる大チャンス来たから、日本のお料理を学ぶためにオフィス街で、家庭の味をお届けする系のとこでパートしていました。

でもね。103万円の壁は超えられませんでした。

わかります?この理不尽さ。

社会制度がもう全力で私みたいなのを無力化させてくるんです。しかもね。

丁度、この頃に民主党になるんですよ。笑

これも東京でそこそこの収入があると、得があるんだかなんだかわかりませんでしたが、社会の流れとしては、かなり子育て家庭に手厚くなるんです。

だから2人産めたんです。

お金も大事でしたが、社会の雰囲気が子育て支援の風潮がありました。

そして…

一瞬でした。泣

こんな経験があって、米国に戻り、更に色んな疑問がわいてきました。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?