車輪の唄と銀河鉄道が見せる光と影、隠された物語
BUMP OF CHICKENの楽曲には、よく世界観が繋がっているのではないか、と言われる曲がある。代表的な例だと「くだらない唄」と「続・くだらない唄」だ。というか、繋がっているのは当たり前である。題名がそうだから。ALWAYS三丁目の夕日とALWAYS続三丁目の夕日みたいなものだから。
他に有名なのは「Kとembrace」「Kと太陽」「バトルクライとリリィ」この辺りだろう。ただしこれらについては、作者藤原基央が直接繋がっていると言及はしていない。ただのファン達の妄想に過ぎない。「繋がっている」と言うファンもいれば「繋がってない」と言うファンもいて、「繋がってるとか繋がってないとか、そもそもそういう考えは嫌い」といえファンだっている。人それぞれだ。
「車輪の唄」「銀河鉄道」。これも、ファンの間で世界観が繋がっているのではないかと囁かれているペアである。さまざまな意見があるのもこの議論に正解がないのも承知の上で、
僕はこの2曲が、完全に同じ世界線で、別々の主人公が登場しているのだと言い切ってみたい。
車輪の唄と銀河鉄道が繋がってるとされる根拠は、歌詞の情景がリンクする箇所がある点。
まず前提として、ざっくりと両曲の世界観を紹介しておこう。車輪の唄は、アルバム曲であったが後にシングルカットされた曲。朝の電車で旅立つ「君」と、その君を自転車に乗せて駅まで送り、ホームでお別れをする「僕」の一連の物語。銀河鉄道はシングル「プラネタリウム」のカップリングB面。孤独の主人公が電車で遠い街まで行く過程の、出来事や心情を描いた曲。
車輪の唄が描くのが明るい場面としたら銀河鉄道が描くのはかなり暗めの場面、とも言える。そんな世界観を意識しながら歌詞を見ていく。
錆び付いた車輪 悲鳴をあげ 精一杯電車と並ぶけれど ゆっくり離されていく (車輪の唄)
離れていく君に見えるように 大きく手を振ったよ (車輪の唄)
自転車を漕いで手を振る人 見送りたい人がいるのだろう 相手を思うならやめてやれよ ちょっと恥ずかしすぎるだろう (銀河鉄道)
このように、銀河鉄道の「自転車を漕いで手を振る人」が車輪の唄の「僕」の状況と合致している。銀河鉄道の主人公が、「見送りたい人」がいる「僕」に対して妬んでいるとも解釈できよう。
更に言えば、両曲のリリース時期も近い。車輪の唄は9枚目のシングル、銀河鉄道は10枚目のシングルのカップリング。ある程度車輪の唄が出来上がった前後に、その世界観とリンクさせた曲を作った、という可能性も決してゼロではない。
ただただ「所々歌詞がリンクしてる!」だけでも済ませられる話ではあるのだが、実はそうではない。銀河鉄道の歌詞をもっと紐解いていくと、更に車輪の唄と繋がる部分があるのだ。そこから、車輪の唄に隠された、「僕」と「君」のやりとりが存在する。
以下は、銀河鉄道のサビ。
誰もがそれぞれの 切符を買って来たのだろう
今までの物語を 鞄に積めてきたのだろう
荷物の置き場所を 必死で守ってきたのだろう
これからの物語を 夢に見てきたのだろ
う
電車に乗るにはまず時刻表を確認し、乗りたい電車と降りたい駅を確認し、切符を買って改札を通り、電車が来るのを待つ。という動作が必要。もちろん、必要な荷物があればそれも持っていく。
そして、人生の選択肢を定めてどこかに旅立つという動作にも、電車に乗る手順と同じようなステップを踏む。
どこかに旅立つにはまず、赴く先をしっかり調べ、目指すべき理想像に近づくための手段を見つける。そして自らの意思を確固たるものにして、その時が来るのを待つ。もちろん、掲げている大きな夢があればそれも持っていった方が良いだろう。
銀河鉄道には、「旅立ち」における主人公の動作や風景について深く描かれ、車輪の唄には、「電車に乗る」ことと「旅立ち」の二つが描かれている。
ここで、今一度銀河鉄道のサビの歌詞を振り返ってみたい。
誰もがそれぞれの 切符を買って来たのだろう
今までの物語を 鞄に積めてきたのだろう
荷物の置き場所を 必死で守ってきたのだろう
これからの物語を 夢に見てきたのだろ
う
これらの歌詞をそれぞれ、上から
「誰もがそれぞれの人生の選択肢を決めたのだろう」
「決意した大きな目標を引っ提げてきたのだろう」
「夢を叶えるために必死で努力してきたのだろう」
「目標達成を夢に見てきたのだろう」
と解釈し、切符=人生の選択肢、鞄=目標と置き換えてみることにする。
以下、車輪の唄の歌詞。
「一番高い切符が行く町を僕はよく知らない」
「一昨日買った大きな鞄改札に引っ掛けて通れずに君は僕を見た」
「鞄の紐を僕の手が外した」
の部分。これらは、こう解釈できる。
「君が選択肢から選んだ目標はとても大きくて僕はそれの手助けも出来ない」
「君も、大きすぎる目標に少し引っ掛かる
気持ちがあって中々進めない」
「引っ掛かった気持ちを抱く君の背中を、僕が押した」
何気ないハプニング風景のように描かれた車輪の唄の二番。交錯する君と僕の複雑な心情が隠されている。言葉で交わさずとも、無言の中起こったこの一連の動作で、二人で通じあった何かがあったのだろう、と、ぼんやり推測できる。
車輪の唄に出てくる「君」。銀河鉄道に出てくる「僕」。
曲調も相まって瑞々しく朗らかな印象を抱かせる車輪の唄の「君」も、どこか闇を抱えながら生きているように見える銀河鉄道の「僕」も、等しく同じ速さで、未来へ向かっている。みんな同じ、夢を持って進んでいる。
歌詞を深読みして見えてくる車輪の唄と銀河鉄道の親和性。そして、夢を持って新たなスタートを切るという美しさ。儚さ。
さらにそれらを、「光」と「影」の二つの視点から見る。さながら車輪の唄というA面、銀河鉄道というB面を比べるかのように、両者が対をなしている。
これが、藤原基央の意図した繋がりだとしても、ただのいちファンの妄想だとしても、ここまでに無限に拡がる、銀河のような世界観を演出してくれるBUMP OF CHICKENに、僕はただただ感服するのみだ。
これからも、彼らに夢を重ねて、歳を取っていきたい。
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