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Genesis2「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」

創世記2章で驚かされたのは、いかに人は、神に似てつくられたかということである。


天地創造により、闇と大水の世界を、光と良いもので満たした神は、第七日にすべてのわざをやめられた。
今なお、世界中で七日間をひとつの区切りとして数えられていることにも、人と神の似ていることを思わされる。


神はことばで世界を造った。
光も空も海も陸も植物も天体も、ことばによってつくられた。
鳥も獣も土で形造った。
だが、人だけは違った。
「大地のちりで人を形作り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた」のである。

人は、神のいのちの息によって生きることになった。
特別なことであった。

そして人には、動物に名をつけることをゆるされた。
「神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。」

神がことばで世界を創造したように、
人も名づけることで世界を支配するようになる。

世界を良いもので満たすようになる。

そして、何よりも人が神に似て造られていると思ったのが男と女の存在である。

聖書の神は、三位一体の神である。
天地創造した父なる神、救世主であるイエス・キリスト、そして助け手である聖霊。

神が「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」と言ったように、
世界の初めから、神はひとりであり、同時に複数であったのだと思う。


そして人も、男のあばら骨から女が造られる。

「神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。
主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。
神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた」

男と女。
それはつまり、二人であり、同時にひとりである存在。
ひとりであり、また複数である存在。

神がひとりであり、複数であるように、

夫婦はひとつであり、複数であるように、

人は神に似て造られている。


(だからこそ、人が神と同じだと思わぬように、ひとつのルールが定められた。だが人は、その神の命令を守れるのだろうか)


©新改訳聖書2017

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