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Genesis11「これはテラの歴史である」

さて、そうして発展していく都市国家や、さまざまな民族たち。 すべてが“主の前に”素晴らしい発展をしていったならよかったのだが、また一つの不穏な出来事が起こる。 この11章は、バベルの塔の章である。 バベルの塔――。 人間が、自分たちのすごさを天に知らせようと、高い塔を建て始め、神が人の高慢さに怒り、話し言葉を変えて混乱させ、塔が造れなくなった、という出来事である。 かつて、ノアの時代に洪水で世界を滅ぼした神は、「大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない」との契約の虹

    • Genesis10「彼は主の前に力ある狩人であった。それゆえ、『主の前に力ある狩人ニムロデのように』と言われるようになった」

      「これはノアの息子、セム、ハム、ヤフェテの歴史である」と始まる章。 ここでも、たくさんの名前が出てくる。 その多くは聞き覚えのないものだが、いくつかの地名や諸氏族や名前は聞いたことがあった。 ソドム、ゴモラ、ニネベ、ペリシテ人、ヒッタイト、シェバ……。 とはいえ、ほとんどは何を指すかわからない音の響きである。 どうしてまた家系図のようなものが記されているのか、と思ったとき、ふと気づいたのは、これがノアの箱舟以降のことであるという歴史の流れである。 ノアの箱舟にはノア夫婦の

      • Genesis09「ノアは農夫となり、ぶどう畑を作り始めた。彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。」

        神が心の中で思ったことを、 ことばにしてノアに告げることからこの章は始まる。 「生めよ。増えよ。地に満ちよ」から始まることばに、あれ聞いたことがあるな、と思った。 聖書をめくって振り返ると、創世記1章、アダムの誕生のときに同じことばが出てきていた。 そこでは、「地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木」を食物として与えられている。 だが、今回は続くことばは、それとは違った。 「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように

        • Genesis08「神はノアに告げられた。『あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。』」

          大雨によって、世界は水の中に沈んでいった。 百五十日の間、水が増えていき、それから次第に減り始める。 そして、「箱舟は、第七の月の十七日にアララテの山地にとどまった」 大水の中を揺れていた箱舟は、雨が降り始めてから五か月後、山地にとどまることになる。 流されなくなり、「第十の月の一日に、山々の頂が現れた」とある。 水の下に沈んでいた世界がようやく、姿を見せるようになった。箱舟から降りて、再び地上で生活する可能性を感じられるようになったことだろう。 するとノアは、外の様子を

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        • Genesis10「彼は主の前に力ある狩人であった。それゆえ、『主の前に力ある狩人ニムロデのように』と言われるようになった」

        • Genesis09「ノアは農夫となり、ぶどう畑を作り始めた。彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。」

        • Genesis08「神はノアに告げられた。『あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。』」

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          12本

        記事

          Genesis07「それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は彼らのうしろの戸を閉ざされた」

          私たちは2020年、未知のコロナウィルスによって社会活動を失った。いのちも、日常も。 私はあの年を「失われた一年」(Lost 2020)だと思っている。 あの年の1月の終わりに、私は父を亡くした。 半年近く、悪性腫瘍で闘病した末、本人が死を覚悟し、金曜日の朝に連絡を受けた私たちは父が死ぬまでの四日間を病室で過ごした。父が召されたのは、久しぶりに地元に雪の降った月曜日の朝だった。外が真っ白く輝く中、母と過ごした病室で眠るように召されたことに慰めを覚えたのを思い出す。 その少

          Genesis07「それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は彼らのうしろの戸を閉ざされた」

          Genesis6「これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」

          アダムが死に、その直系の子孫たちが死んでいく中で、地上には悪が増大していった。 悪とは何だろうか。それは、神を必要としない世界。 増えていった人々は、「それぞれ自分が選んだ者を妻とした」とある。 自分がすべてを決め、自分が選び、自分の好きなように生きるようになった。 「神の子ら」「人の娘」「ネフィリム」といったものが何を指すのかはわからない。 だが、人々はアダムがエバを神から与えられたのとは異なり、自分で妻を選ぶようになった。 その直後にこう書かれている。 「そこで、主は

          Genesis6「これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」

          Genesis05「これはアダムの歴史の記録である」

          創世記5章は、家系図の章である。 アダムの子孫の名前と、何歳まで生きたかということがひたすらに記されている。 ここを読んで、皆で話し合って何が見えてくるのだろうか……と少しの戸惑いを覚えた。 そのとき、ふと、以前ここの章を読んで図を描いたことを思いだした。 その頃、私たちはあるプロジェクトを教会で行っていた。 毎月、とあるテーマについて話し合いながら過ごす小さな集まりである。 「なぜ、教会に毎週通わなければならないのか」 たった三人の小さな集まりで、週ごとにやることを決

          Genesis05「これはアダムの歴史の記録である」

          Genesis4「しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた」

          創世記4章は、最初の殺人が起きたことで有名である。 アダムとエバの間に生まれた兄カインと弟アベル。 大地を耕すカインは、羊を飼う者であった弟アベルを野に誘い出して、殺す。 なぜ、兄は弟を殺したのだろうか。 それは、主にささげ物をしたとき、弟のささげ物には目が留められ、自分のささげ物には目が留められなかったからである。 「カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた」 自分の行いが評価されず、激しく怒りを覚える。 しかも、自分よりも年

          Genesis4「しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた」

          Genesis3「その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった」

          前回、人が神に似た者として造られ、似たものとして生きていくように存在していることを知った。そのときに、これは危険性を伴うなと感じた。 そして案の定、世界を良いもので満たし、神に似た者として生きる我々は、やはり……神のようになりたいと願うようになる。それは何か。 その日、蛇が女を誘惑したのは、ある木の実を食べることであった。 園の中央にある木であり、神が食べてはならない、触れてもいけないと告げた木の実である。 それを食べたら死んでしまう……と。 だが、その善悪の知識の木を前

          Genesis3「その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった」

          Genesis2「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」

          創世記2章で驚かされたのは、いかに人は、神に似てつくられたかということである。 天地創造により、闇と大水の世界を、光と良いもので満たした神は、第七日にすべてのわざをやめられた。 今なお、世界中で七日間をひとつの区切りとして数えられていることにも、人と神の似ていることを思わされる。 神はことばで世界を造った。 光も空も海も陸も植物も天体も、ことばによってつくられた。 鳥も獣も土で形造った。 だが、人だけは違った。 「大地のちりで人を形作り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた」

          Genesis2「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」

          Genesis1「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた」

          創世記1章を読み、最も印象に残ったのは、「闇の存在」である。 神が最初に存在させたものは「光」であった。 光と闇をつくったのではない。 地は茫漠として何もなく、ただ闇が、闇だけが大水の面にあった。 そこには無が、有った。 そして神は、「光、あれ」と仰せられたのである。 私は常々、神の天地創造に少しばかりの違和感を持っていた。 それは「なぜ天地創造したのだろうか」という率直な疑問であった。 天地創造をしなければ、私というものは存在しなかった。 フランスの哲学者、デカルトは

          Genesis1「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた」

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          2021年1月30日土曜日。 創世記を読み始めた。ひとりでではない、数人でである。 年末のECというキャンプで教えてもらったIBS(Inductive Bible Study)「帰納的聖書研究」の手法が自分には合っていたようで、それを用いて聖書を読みたくなったのだ。 前提をもたない、ただひたすら書いてあることと向き合う読み方。 「聴くドラマ聖書」(G&M文化財団)の壮大な世界観からもたらされるインスピレーション。 このnoteでは、聖書の創世記を読んで感じたことを記録

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