感情は私の子供
ネガティブな感情を否定して生きてきた。
否定すると、それは心の奥底に堆積して、得体のしれない「人生のモヤモヤ」として私の体に残る。
感情は、私の子供だ。
感情は、感じきるためにある。
「こんなことを感じてはいけないのに」と思考で判断してしまう、感情を抱いたとする。
思考はなかなかスパルタに、色々なものをジャッジする。
この世の中で生きるために大きな役割を果たしてくれるんだけど、ジャッジしすぎなのが、玉にキズ…
思考がそんなことを言おうと、私は、その感情を全肯定する。
「つらかったね」「いやだったね」
ひとりでいられる場所で、時には泣いて、時には喚いて、全ての感情を感じきる。
すると、それがどれだけ深い苦しみであっても、身が避けるような辛さであったとしても、それは必ずふっと昇華するのだ。
感じてくれたら、お役目は終わり。
感情はいつもそういう素っ気ない態度で、私の体を通り過ぎる。
通り過ぎると、私は憑き物が取れたような気持ちになる。
感情は私の人生の引き出しの中に仕舞われて、必要な時、それを参照できるようになる。
他人の価値観や気持ちを想像する時、似たものがないか、私は自分の引き出しを探る。
感じたものが多いほど、優しくなれる。
感情は私の子供である。
そして、優しさである。