日誌(13/365 どんど焼きに行って感じたこと)
どんど焼きに行ってきた。
毎年の恒例行事として、年末年始は玄関飾りを取り付け、時期が過ぎたらそっと取り外していた。今回、購入していた玄関飾りはこちら。
とはいえ、実家を出てから、どんど焼きのタイミングで持って行けたことは一度も無く、時期が過ぎてから神社へお焚き上げのお願いに行っていた。
実家ではどんど焼きは、たいせつな行事として扱われ、必ずその日のうちに神社に行き、玄関飾りや諸々の飾りをお焚き上げしていた。
今日は、近所の神社に行って、どんど焼きの火の中へ玄関飾りを入れて、しばらくその様子を見ていた。
周りにも同じ様子の人たちが何人もいて、火を見守っていた。
火の中で、玄関飾りにゆっくりと火が点いて、色が変わり、煙が出てくる。ゆっくりと燃えながら、真っ黒な塊に代わっていく。そして形が崩れて、他のものたちと一緒になっていった。
もともと、そんなに見ているつもりではなかった。
火の中に正月飾りを放り込んだら、お参りしてすぐに帰宅しよう、くらいに思っていた。
気づくと数分、火を見つめてその場に立っていた。
役目を終えた玄関飾りに感謝しつつ、家族の平穏無事を祈りつつ、そして普段は感じないような気持ちになっていた。
焼肉するときに見るような火でもなく、キッチンで調理するときにコンロで見る火でも、お香を焚くときの火でもない。
今日、見た火はなんだったのだろうか。
きっと私の中で永く永く続いてきた循環する火なんだと思う。
食事をはじめ日常生活で見る、短い単回の火ではない。
小さいころに父と見たどんど焼きの火が戻ってきたような、
今日だけでなく、これからも続いていく火。
たくさんの日が過ぎて、今日までやってきた。
そして、今日もまた過ぎていつかに向かっていく。
来年もどんど焼きに行こう、そう思った今日の出来事。