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楽あれば苦あり。楽苦って書いて楽しいと読めばいい。
こんにちは。
ブログのネタどうしようかなーっと考えてる時はまだネタがある状態で、その時間が結構楽しいと思ってるかわしゅ。です。
#何だかんだ続いてる事に驚いてる
早く楽したいなぁと考える時がある。
楽って言っても色々あるから具体的聞かれたら困るけど、なんとなーく何もせずに快適空間で寝そべりたいと思ったりする。
でも、変な話だが楽ばっかりしたい訳では無い。だから、1ヶ月くらいずーっと寝そべり呆けたいかって聞かれたらノーと答える。
もう少し掘り下げてみると、では何故楽をしたいと思ったりするのか。1日だけ楽をするのと1ヶ月楽をするのとでは何が違うのか。
それはきっと、僕が思う中でその行為が非現実的で楽しいか否かでしか無いと思ってる。
例えば、いくら仕事が嫌だからと全てを投げ捨てて、本当に何も無い無人島で一生を過ごしたいかと言われたら僕は無理だと言う。
逆に、超多忙な仕事の中でふと空いた数日間に無人島体験と称した3日間のサバイバル生活をやりたいかと言われたら目を輝かせて飛びつく。
前者では、一見無人島という非現実的な空間であっても一生棲むとう行為で現実という価値に変わってしまうという事。
また後者では、3日間だけの無人島“体験”という非現実的な空間に非現実的なイベントという2つが掛け合って別の価値が生まれる。現実に戻ればもちろん仕事がある。
僕はきっと、この後者のようなものを楽したいという大きな括りで考えているんだと思う。
人間も生き物だから適度にストレスを与えないと喜怒哀楽という感情が廃れやすい。だから、沢山苦労した後の楽しさは何倍にも膨れるんじゃないだろうか。
でも、いくら非現実的だからといって楽しいと思えない行為は何の価値も無い。
夏休みの勉強を沢山頑張った子供を旅行に連れてくとして、虫が嫌いな子供の為にジャングル冒険に連れて行こうなんて考えない筈だ。
大切なのは、非現実的である事と楽しいと思える事がセットになってること。あとは、適度にストレスが貯まってれば準備は完璧だ。
楽あれば苦あり。
人生はほんとにその通りだと思った。
それでは、今日も素敵な1日を!