氷河期世代とワールドトリガー

この動画が素晴らしかった。

総力解説!「氷河期世代」と失われた30年〜今こそ語るべき「氷河期マインド」と「ワールドトリガー」に脈動する21世紀の“生の哲学”

すごい面白かった。玲司先生のいつもの作品解説もいいんだけれど、それは前編で見せてくれたのですが、それはこちらで、、、

後編は奥野さんがプレゼンター。氷河期世代とワールドトリガーを絡めて解説。これはアップされたら動画で見てもらいたい。

ここ1週間ずっと同じ内容についていろいろ考えたり、若い頃思っていた事を思い出してしまった。

自己責任を押し付けられた世代

氷河期ど真ん中の私たちは親方日の丸に乗せてもらえずに自分たちで何とか生きなければいけなかったサバイバルを生き残って思うのは、、、

自分たちは自己責任を押し付けられたけれど、じゃあこの世界の今の状態について誰が責任を取ったんだろう、、、?

という事です。
こういう意見を見て、「いつまでいじけているんだ?」と若い人たちには見えてしまうんだろうけど、なんていうかこれを「ルサンチマン(弱者が敵わない強者に対して内面に抱く憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」とみなされると、さすがにちょっと待ってよ、と思うのです。

もちろん、さすがに「バブル世代はいいよな~」って気持ちも少しはある。でもあの人たちは自分たちよりも体育会系絶対的上下関係の中で生きてきたわけで、自分には耐えられないな~とも思う。

それでもうこんな年齢になってしまって今さら時代のせいにしてる場合でもないっていうのもあるし、最初は苦労もあったけど何とか生きてこれたし、、、、、、
そう

もう腹落ちしてるんですよ

時代の境目に生まれちゃったのは運でしかないし、納得して諦めて地に足つけて生きちゃってるんだよな。「個人としては」だけなんだけど。
だから、、

もう社会の責任を負うつもりがない

ここに行きついちゃうんだよ。

生まれた時代によって変わってくるのはしょうがないのだけれど、絶対的に他の世代と違う気がするのが、、、、

「社会の中の大人」という存在である気概がない

という事。

やっぱり一度、社会という大きな船に乗れなかったので国家の一員であるという気持ちが私には育たなかった。先輩だろうが後輩だろうが社長だろうが関係なく、すべて「他人」でしかない。「育ててもらった」という恩もあまり感じていない。
社会的構造問題に対して自己責任を押し付けられた世代は、貧困高齢者をどう見るだろうか?「無年金の人たちに生活保護?自己責任じゃないの?」って思う人だっているだろう。

だから動画の中で「永遠の厨二病」って言うのはすごくよくわかるw

・自分が守れるものだけは守る
・終わりなき日常を自分の人生として生きる
・無駄に周りに合わせない
・なるようにしかならないという諦め

別にこれが悪いわけではないのだけれど、いろいろな社会問題に対して「当事者」という意識になれないんですよね。そういった問題に対しても

ぶっちゃけどうでもいい

これが本音です。

どんなお題目も全部利益供与のパワーバランスでしかないし、ジャーナリストなんていなくて広告屋さんしかいない。人権派みたいな一番強そうなカード持って戦うやつらこそ卑怯。

こういう事も、ぶっちゃけどうでもいい。

だけど新しい世代がちゃんと生きていけるような世の中にしたいな、という気持ちだけはあるんだよね。彼らが社会の理不尽にやられるような社会だけにはしたくないし、もうそれくらいしか自分たちの使命がない。

自分たちは目標を達成するレースに参加出来なかったかもしれないけれど、団塊世代を追い出したあとに綺麗に消えていくしかないのかな、、、と思っています、、、、



う~ん、考えをまとめようと文字にしてみたけどやっぱうまくいかなかった。





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