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空間のあたたかさ~ときどきSUWAだより
あぁそうかと。人に触れられようやく気付く。
わが身のこわばり。深く一息。
じぃちゃんの和室にてサロンセッション
長野は諏訪の生家にて7月末3日間限定、サロンドサリーセッションでした。
亡きじいちゃんのこだわりの詰まった和室を整えて。
クーラーのない部屋だけど、吹きぬける風(+扇風機)と
障子から漏れる光の陰影。
そしてじぶんが動くたび、かすかに畳の擦れる音。
長く茶道に身を置き親しんだ影響もあるかと思うけど、
日本家屋の持つ良さを再確認。この感じが好きだなぁ。
空間が織りなす、あたたかさというか。
人を深くホッとさせてくれる、懐深さというか。
空気が澄んで、風が吹き抜ける。
ぐるりと周囲を囲むように聳え立つ、山々を仰いでは視野が広くなる。
日中の日差しは指すように熱いけれど、朝晩の涼しさ冷房イラズ。
私にとって、ここ故郷でもある諏訪はいつでも、
帰ると体の力を思い切り抜いて、くつろげるところなのである。
都会での暮らしで窮屈に縮こまった背中の羽を、
ゆったりと伸ばせるような。
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暮らしの場となると生じる、生活の負荷
しかし今回、こちらで施術する機会をいただいてあたらめて思ったこと。
いかにどんな癒しの場と言えど、そこが「生活の場」の舞台ともなると、
大なり小なりそれなりのストレスが生じるということ。
生活における負荷というか。
どんなところにいても、人がその地に根をおろして生活するというのは
家族のことから仕事のこと、はたまたご近所とのことなどで生まれる、
なんらかの人間関係がおりなすストレスを背負うものなのだと。
私にとっては、オアシスのようなこの地でも、
日々暮らしを営む現地の方のおからだには、お疲れもあった。
仕事のことや家族の介護などで、ぐるぐる回る考えで頭が固くなったり
背中にこわばりからくる厚みが生じたり。
知らず知らずのうちに呼吸が浅くなって、疲れを感じやすくなっていく。
だからどこであっても、ほんの少し日常から離れて骨休みをする。
じぶん自身を労わったり、見つめたりする時を持つことは大切だなと思う。
とくに頑張り屋さんは、なかなか自分ひとりだと力が抜けないから、
トリートメントのようなセッションで第三者と一緒に
「ここではない感覚に身をゆだねる」という体験は効果的なのだとも。
「和室やっぱり落ち着きますね~。ホッとします。」と一息ついてから、
触れられて自身のこわばりに気づき、肩の荷を少し降ろす。
そうして、術後にやさしい笑顔になったお顔を拝見するたびに、
あぁ、よかったなぁ~とどのセッションでも思った。
じぃちゃんの残してくれたやさしい空間にて、そんなことを想った夏。