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ポジティブな行動の裏に隠されたネガティブな感情
先日、受講した開闢で知った
「人に関心を持つ・持たれる」
という話しから、関心を持っていない私を知ったときに、今まで私が見ていた感じていたことの浅さを知る。
そして、人と関わるとき傍観者(身体はそこにいるけど、意識はない)になるときがある。
それはどういう時に起こるんだろう?と自分に問う機会がやってきた。
いろんな感情やその時の場面が思い出されて言葉に出してみたが、どれも近くて、なんとなくしっくりくるけども、心底腑に落ちるものはなかった。
すぐには明らかにはならなかったから、
その問いは自分へ問い続けると決めて、
いつかわかるときがくるだろうと信頼し、
その日はさっさと寝た。
そしたら夜中、なんかの拍子で目が覚めたときに
問いについての言葉がハッと浮かんできた。
私、無意識に
「私が人に影響を与えるわけがない。」
という感情を持っている!
どうりで、ずっと人に影響を与えたいと願っているが、なんかちぐはぐしていて叶ってはいなかったのか。
だって、心の底では
「そんなことがあるわけがない」
と否定しているのだから叶うわけがない。
これが、
"ポジティブな行動の裏にあるネガティブな感情"
というやつ。
根底にあった自分への否定的な感情に気付き、
今度は何故そんな感情を根底に持っているのか?を良い悪いで判断せずに問いかけてみる、をしてみよ。
⚫︎今日知った私の部族的信念
私が人に影響を与えるわけがない。
→逆も考えられる。
「人から影響を与えられるわけがない。」
というのもある気がする!
⚫︎今日、得たもの
どちらにしても影響を拒絶していた私
⚫︎今日、得られなかったもの
本来、魂が望んでいる道を生きている実感
〜私の「部族的信念」の定義〜
子どものときに、家族、教師、宗教的しつけなどによって植え付けられる無意識の前提