私の理想を生きる
"享受する"
と言う言葉が浮かんできた今朝
昨日参加した
#BOOQUEST
#せかすくふれんず
https://note.com/hitonokoto/membership
で知った
《理想と妄想と空想》
の意味を思い出し、自分の理想を
妄想や空想にすり替えていた自分を振り返っていたときに出てきた"享受"
享受の意味を調べたら、
『受け入れて自分のものとすること。
受け入れて、味わい楽しむこと。』
と書いてあった
受け入れること、
自分のものとすること、
受け入れて味わうこと、
受け入れて楽しむことを
拒絶している自分がいることを知る
どうして受け入れないのか?ときいてみると
「自分が受け入れると決めて受け入れたときに、
言い訳ができない。
言い換えると、
受け入れ難いと感じることは受け入れたくない私がいる。受け入れたいものだけ・自分が気にいることだけ選んで受け入れたい私がいる。」
ということ
まぁ、
正直そんな人生を今からも引き続き生きても良いと思う。ぶっちゃけ私の人生だから
でもそんな生き方をしてきての今、
「こんな生き方はもう違うし嫌だ」
と思っているのだから、受け入れるほうに行動を意識を変えるときだと思う。自分のために
どうするのかを決めるのは私
自分の人生の最終選択は自分で決める
(自由選択というやつか…)
『誰かの理想ではなくて私の理想を生きる』
思えば、今までは誰かの理想を生きていたなぁと振り返る
母親、叔母、夫、身内、地域の人、PTA、社会の役割…
そのとき居るコミュニティの中で、
誰かの理想になろうと頑張っていたなぁ
時と場合によっては必要なときもあったし、
私にとってそれを実感することが必要なときもあったが、今からは"誰かの理想"を生きる必要は私にはないようです
⚫︎今回知った私の部族的信念
誰かの理想を生きる方が幸せな人生になる
⚫︎今回、得たもの
"享受する"という言葉の意味
"理想を生きる"ということ
⚫︎今回、得られなかったもの
理想を生きている私
⚫︎どんな一日になるだろう?
享受する一日
⚫︎私はどうしたいのか?どうありたいのか?
私の理想を思い描き、実践し、振り返る
⚫︎チャクラのこと
第五チャクラ、
第三チャクラに関係していそうかな…
〜私の「部族的信念」の定義〜
子どものときに、家族、教師、宗教的しつけなどによって植え付けられる無意識の前提