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嫌いだった男女平等



陸上自衛官だった私が退職を決意し
現在は自宅で整体サロンをしています。
岩手県ではまだやってる人のいない
美彫骨整体というメソッドを取り入れた
女性の為の整体サロンです。

駆け出しの未熟な私だけど過去の経歴では
陸上自衛官として10年務めました。
2人の子宝にも恵まれました。
色々あったけど充実した在職期間。
そこで感じた男女平等について書きます。

皆さん、夢は持っていましたか?
世間的には夢を持つことは
良いことと思われてると思う。

目標を持ちなさい。
夢を叶えなさい。
学校の授業で作文を書いたりする。

じゃあ、その夢の先にある社会では
女性として男性としてどう生きていくか
そんな想像はしていたでしょうか?

私が入隊した時の夢は

◎父のような自衛官になる
◎教育隊の班長になる

社会で大切に育てられた私の夢は
そんな漠然としたものでした。

結論から言って夢は叶わなかった。
入隊してすぐ配属された中隊は約200人の男に対して女は6人。1割にも満たない人数。
その中の1人が私でした。

良くも悪くも何をしても目立つ。
能力ではなく、女性隊員という枠で見られる。
社会で女性が活躍することの難しさを
知ったのは19歳の新隊員の頃。

重い荷物を背負っての行軍。
泥だらけ入浴なしの演習生活。
女の子の日が被るととても悲惨。
でも男性に根を上げたことはなかった。
大切な人を守る為。
そんなことが当たり前の20代前半。

頑張ったけどやっぱり男の人と
同じ事をやるのは難しいものがあった。
女は楽で良いよな、と声をかけられることもある。

他人に認めて欲しくて勝手に自分で圧をかけた。
身体を壊し、ますます居づらくなった。
気合いが入って空回りしてる女は嫌われやすい。
卵巣出血で入院も数回。
結婚後は初期流産も経験。
落ち込む私に上司が言ったのは
旦那を訓練に行かせたいけど、
術後本当に付き添いが必要なのか?
ただ冷たく聞かれただけだった。

子宮があること、月経があること。
子供を産むこと、女であること。
負担になることが多いと感じた時期があった。

そしてせっかく命を授かっても
今度は社会的立場を失うのが怖くなり、
我が子より仕事を気にかけるようになった。

なんで女ばっかり。

男女平等という言葉が嫌いだった当時、

私の軸はいつも他人が基準だった。


#本気のbj22

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