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#30 琉球泡盛「國華」で辿る沖縄の原風景

 泡盛のつくり手である津嘉山酒造所がずっと気になっていた。

 理由は、極めて少人数で、昔ながらの泡盛を手づくりでつくられていること。また酒造所自体が昭和3年に建造され、今年でちょうど100年を迎える。戦前からの建物で泡盛をつくり続けている唯一の酒造所であり、昭和から変わらぬ設備で醸される酒の味わいとつくりのプロセスを学びたかったからだ。

 今は最近入られた方も含めて3人、しかし、長らくは2人だけで酒づくりから販売、酒造所を訪れる人たちへの対応などあらゆる業務をされているということもあり、極力邪魔にならぬよう事前に連絡をして訪問をさせてもらった。

 酒造所は那覇から車で約1時間半、名護の街中に位置している。宿泊するホテルに車を停め、酒造所まで飲食店が連なるアーケードを歩いていくと、突然、時間を何十年も巻き戻したかのような風景が目に飛び込んでくる。

 美しい赤瓦の屋根を有する木造の建物の入り口には、これまた美しい紫の暖簾が掛けられている。中に入ると杜氏の秋村英和さんが出迎えてくれた。

 挨拶もそこそこに酒造所内を案内いただく。当然、事前にできる限り津嘉山酒造所と國華について調べた上でおじゃましたつもりだが、秋村さんが矢継ぎ早に語る言葉と熱量に圧倒される。

 それでも「昭和の時代から変わらない」と秋村さんは言う。

 たしかに主屋に隣接する酒造所内を案内いただくと、オートメーション化された工業的な設備は見当たらないし、どれも杜氏である秋村さんの手づくりであることがわかる。それは下記の写真にあるように瓶詰めも手動であり、ラベル貼りは幼き頃に慣れ親しんだアラビックヤマトを使って行われるほどだ。

 また蔵自体が国の重要文化財に指定されていることもあり、取りこわすことはできない。修復に修復を重ねて、今の姿に至るわけだが、変わらぬ酒づくりのために防腐剤などは一切使っていない。その証拠に蔵に着く黒麹はしっかりとその柱に見ることができる。この麹菌を調査するために大手メーカーや研究者も津嘉山酒造所を訪れ、この蔵特有の麹菌に驚くようだ。

建物自体が重要文化財に指定されているため、柱も壊すのではなく、補修されている。

 昭和後期か使っているという米を蒸すための回転ドラム、麹をつくるための三角棚、そして、醪を発酵させるためのタンクまでのすべてが手によって運搬される。麹づくりや醪の発酵も秋村さんひとりで行われる。醪が乾燥すると雑味が増すため、仕込みの最中は目を離せないという。また酒造所も設備も、昭和から使い続けているにも関わらず、とても綺麗に保たれている姿が強く印象に残っている。

タンクに移して10日目の醪。甘酸っぱく心地の良い香りが漂う。

 そして主屋に戻り、蒸留について案内をしていただく。

 津嘉山酒造所を訪れる以前にも、幾つかの焼酎やジンの蒸留所を案内いただいたが、津嘉山酒造所ほどコンパクトな蒸留機を見たのは初めてだった。
 原酒である「國華43度」は、蒸留後にタンクで落ち着かせる。冷却濾過は行わず、時間をかけて上面に浮いてきた高級脂肪酸(油分)を手作業で取り除く粗濾過を行う。濾過を最低限に抑えることで、旨味成分が残り、泡盛本来の味わいを楽しむことができる。

古酒を熟成させる甕はどれも大きさが異なり、甕の特徴を持った味わいに変化する

 また蒸留時に使われる冷却槽の水は、お風呂のお湯として再利用され、お米の粕は酒造所の裏で飼育する豚の餌になる。これは今に始まったことではなく、以前から今に至るまで、この名護の土地で循環する酒づくりをおこなっている。

戦後、酒造所がアメリカ軍に接収された歴史の名残

 案内の後半は、酒づくりにおけるプロセスだけではなく、泡盛の歴史と文化、沖縄の人たちにとって泡盛が果たしてきた役割や位置付けなど、より広義における「泡盛」について教えてもらう。自然と秋村さんの語り口も一層はやくなり、大粒の汗をかきながらも丁寧に、情熱的に教えてくれる。

 一通り案内いただいた後には、秋村さん自身の話を伺うことができた。聞いてみると、秋村さん自身は沖縄の生まれではなく、千葉県・船橋の出身。ホテルマンとしてアルバイトをしていた時代からお酒には携わっていたが、沖縄に来るまで泡盛は飲んだことがなかったという。

 さらにどういったご縁なのか聞いてみると、会社員として秋葉原の電子機器メーカーで働いていた時にお世話になった上司が沖縄の出身だったという。その上司の親戚が観光で東京を訪れた時に、観光案内役を頼まれた秋村さんが出会ったのが、現在の津嘉山酒造所の工場長だった。

 その出会いからしばらくは会社に残って働いていたが、ある時勤めていた電子機器メーカーが倒産する。先んじて退社をしていた元上司に相談すると、休暇を兼ねて沖縄を訪れることを勧められる。実際に沖縄を訪れると、以前に観光案内をした津嘉山酒造所の工場長から、当時の蔵の人手不足もあって、泡盛のラベル貼りを手伝ってほしいと頼まれたことをきっかけに、泡盛の世界に飛び込み、気がつけば16年もの歳月が過ぎたという。

 秋村さんのつくる「國華」を新酒から古酒までさまざま飲ませていただいたが、どれもおだやかで柔らかな味わい。そして、何よりお米の旨味や甘みを感じることができる。
 個人的には、氷を控え目にした「國華43°」の水割りが身体に染み渡るほど美味い。「國華」の甘みと旨味が、水を加えることで広がり、食中酒として最高の相棒になる。

 終始明るく、時に冗談を交えながら、今日に至るまでの話をしてくれた秋村さんだが、沖縄の出身でなく、泡盛を飲んだことのなかった秋村さんが歴史ある蔵で、杜氏として生きていくには、想像もできないような大変な出来事もあったと察する。もちろん秋村さん自身がそんなことを語ることはないが、泡盛の酒づくりから人と歴史や文化を学び、アップデートし続け、僕のような人間にも情熱的に語ってくださる様の一つ一つが、津嘉山酒造所と國華を愛する人たちを増やし続けているのだと思う。
 この場所に巡り会えたおかげで僕は、泡盛「國華」の味わいだけでなく、沖縄の文化や原風景そのものを学ぶことができた。

 気がつけば、予定を大きく越え、3時間近く経過していた。

 最後まで色々なことを教えてくださっただけでなく、まだ開業すらしていない僕自身に励ましの言葉までいただき、そのいずれもが、僕自身の心に強く響くものでした。本当にありがとうございました。

訪問客が帰るタイミングになるとそっと現れるという名もなき猫
津嘉山酒造所を見守り続けてきた樹齢100年の黒木の前で秋村さんと一緒に。
本当にありがとうございました。

salo Owner & Director
青山 弘幸
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