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気遣いと勘違い、冷戦と和解。(2)

(こちらの続き)https://note.com/salmsori/n/n2489e850f57f

その「わかった」の声を聞いた途端、あちゃーやってしまったーと激しく後悔した。

相手は表情を殺してテレビを見ながらご飯を食べ続けている。経験上、これは一週間くらいは後を引くな……と直感した。

考えてみれば、咽頭痛でつらそうな私にかけられる唯一のことばが、俺もその痛みを味わったよという共感だったのかもしれない。そう頭では理解していても、もう一方で機嫌が悪くて頑固な私が反論する。そうはいっても文字通りご飯も喉を通らなくて苦しんでる伴侶が、いま現在痛いって言ってるんだぜ? そこはまず「しんどいよな」「大変だよな」の寄り添いのことばでしょ? 「俺も俺も」なんて聞きたくないんだよこっちは病人なんだからさ。……もちろん自分の頭のなかだけにとどめておいた反論だが。

少し落ち着いてから、あまり間をあけないようにして、さっきは言い過ぎたと謝った。同居人は「おれはわからん」とぽつんと言った。それがいかにも寂しいニュアンスだったので、胸が疼いた。またいつものパターンで相手を傷つけてしまった。

どうしようもないので、仕方なく隣りの部屋で布団にもぐりこんだが、どうにも気になって寝付けない。もはや私の苛立ちは蒸発して苦い後悔だけが残っていた。ああ言わなきゃよかった、余計なひとことを。

夜中に起き上がって、居間でまだテレビを見ていた同居人の前に正座し、真面目に謝った。さっきは嫌なことを言ってごめんなさい。病んで気が立っていたので許してほしい、と。相手はわかったよ、もういいよ、と言う。さっきよりはだいぶ軟化した言い方だったが、まだ心の扉をがっちり閉めているなあと感じられた。だけど強引に握手を求めて、一方的に停戦とした。

これが1月1日の出来事だ。やれやれだった。

もともと日本の私の実家に行く予定で同居人は有休を取っていたので(韓国では新暦正月の1日だけが公休日で、年末年始の連休はない)、数日間二人とも家に居続けることになった。予想どおり、数日たっても相手の態度は素っ気なかったが、こちらも具合が悪いのでそれどころではなく、ひたすら部屋に引きこもって寝て過ごした。隔離という名目があって良かった。
かろうじて会話があったのは、二人が別々にいる部屋を喜んで行ったり来たりする猫のおかげだった。

7日目になってようやく体調が回復した頃には、私はすっかり喧嘩を忘れていたし、向こうもいつも通りの態度に戻っていた。
週末、久々に外に出て景気づけにカルビを食べた。大体外食した後は、家でまた飲み直しとなるのがうちの恒例だ。病み明けで酒がすぐ回りそうだったが、同居人が久しぶりに機嫌が良さそうだったので、ちびちびと焼酎を舐めながらつきあった。

テレビを見ながら雑多な話をしていると、相手は酔いとともに饒舌になってきた。瓶が空になると追加でコンビニに酒を買いに行こうとするので、その辺にしたらと止めると、今日は気分がいいから飲みたいんだよお、と言う。こうなると、大体その後の展開は予想がつく。

3回目くらいのタームになって、相手はだいぶ座った目で、しかし改まった口調で「あのな、俺も足りないけどな、お互い理解するように努力しよう」と切り出した。先日のいざこざの件だ。これでやっと腹を割って話せるようになった。
聴けば、同居人は自分もコロナで苦しんだけれど数日で治った経験を話して、私を励ましたかったのだという。自分だったら「数日で治る」という経験談を聞けばもっと気持ちがラクになるから、という。それはよく分かる。分かるけれど私の感じかたは異なる。しんどいときに自分と違う体験を聞かされても押しつけに感じるし、だからこそ私は人にそういうことを言わないよう努める。
こんな本音を、こうしてちゃんと落ち着いて交わそうと思えばできるのだ。「相手に言っていることは私の考えとは違うけど、理解しよう」という境地に立てるくらい落ち着いていれば。

私たちの場合、そこには時間と酒が必要だ。逆にいえば、かなりひどく決裂しても時間と酒を注げば癒やせる余地があるということで、それはありがたいことだと思う。

無駄に長くなったけれど、コロナと家庭内冷戦と和解の顛末はこんな感じだった。
大体、節目ごとに同じような葛藤を繰り返しているが、そのたびに新鮮に学ぶものがある。大仰にいえば、他人とともに生きることの課題。軋轢と妥協点、鏡のように映し出される自分の欠点…というかクセのようなもの、それに適切に向き合うこと。はてしなく面倒くさいけれど、いみじくも彼が言ったように、不断の努力が必要なのだ。