自由に書くこと。
年末からコロナで寝込み、2023年明けて最初の一週間はただひたすら「回復」のために流れていった。
陽性判定から丸一週間後、ちょうど自宅隔離解除の日が、年明け最初のシゴトだった。その日に合わせて体は回復したが、なんと今度は仕事相手がコロナに感染してダウンしてしまった。結局シゴトは一週間後に延び、私もさらに一週間、療養期間を得ることになった。
体調を整えつつ、落ち着いて自分ひとりの時間を持てるようになると、遅蒔きの「やるきの芽」がむずむずと頭をもたげてきた。
やりたいことリストを久々に書き出してみた。改めて、「やることリスト」ではなくやりたいことを書き出せるってなんて嬉しいんだろう、などと思う。いつからか、やりたいことリストは「やるべきこと・やらなきゃいけないこと」リストに傾きがちになり、だいたい実現しないまま一定期間がたって同じことを書く、の繰り返しになった。それで新年に「今年やりたいこと」を書き出すのはやめてしまっていた。
で、やはり今回も何パーセントかは「やらなきゃ」の要素は入ってくるものの、改めて今年やってみたい突拍子もないことが思い浮かぶと、楽しくなってきた。
例えば、ボーカルレッスンを受ける、というもの。なぜに突然? わからない。ふと「好きな歌を思うとおりに歌えたら気持ちいいだろうなあ」と、何の脈絡もなく思ったのだ。そして、「こうできるようになりたい」というものは、大抵お金を払えば教えてもらえるクラスがあるということを、最近ようやく気付いた。まあボーカルレッスンを本当に受けるかどうかは別として。
前々からの「やりたいこと」であり、やらなきゃならないことの筆頭に上がり続けたことに、今度こそ挑戦することにした。なんてことはない、「毎日、だらだら書く」というもの。
大きなテーマに取り組もうとしないこと。良い文章を書こうとしないこと。頭に浮かんでは消える独り言を、採集して文字にしはりつけておくこと。
そして、毎日書くこと。これは、ものを書く基礎体力づくりのようなものだから。少しずつでも、まとまらなくても、だらだらと「毎日」書き連ねること。
昔は大学ノートに何冊も、いろんなことを書いていた。今は死んでも読み返したくない(しかし捨てられない)、大仰で自己陶酔した文章が綴られているノート。書こう、などとわざわざ決心しなくても、書かずにいられなかった。誰に読ませるものでもなく、まさに心内の掃き溜めだった。Mixiが流行ったころから、人に読んでもらうための散文を書くようになった。自分の文章に対する反応が気になった。それでも、その頃オンラインでやりとりする情報は今に比べたらずっと限られていた。
いま私が主に使っているSNSのツールはFacebookとインスタグラムだが、この10年くらいの間に人々が発信する場はいうまでもなく爆発的に増えた。毎日多すぎることば(YouTubeはじめ映像情報だって、ことばがないものはほぼないから)が入ってくるようになって、むしろ、私は自分が文章を書くのが不自由になったと感じている。書こうとすると同時に情報が飛び込んでくる。つながっていくつもいくつも。ふいにいま私が書こうとしているものが、何の価値もないものに思えてくる。それどころか、何かに害を与えそうな気さえしてくる。大げさなようだけど、本当にそれで幾度も挫折した。まあ、いわば独り相撲なんだけど。
とにかく、そうこうしているうちに、思うままに書く用の筋肉がすっかり落ちてしまったような気がする。そんな焦りもあり、とりあえず毎日書くのを一カ月くらいはやってみるか、というところから始める。
こうしてnoteに書いていること自体が、人様に読んでもらうための文章ではあるけれど、いうなればスケッチブックのようなものなので、書き途中で終わることもあるかもしれない。ご理解のうえ、おつきあいいただけたら嬉しい。