IB生生活を振り返って①プログラムについて思うこと
長いようで短かった2年間のIB生活も、Novemberの最終試験をもって終わりました。国際バカロレア(IB)ディプロマプログラムを終えて思うのは「IBも完璧な教育プログラムではない」ということです。
私がIB校進学を決めた理由は、
理念である「多様な文化の理解と尊重の精神を通じて、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する、探究心、知識、思いやりに富んだ若者の育成」に強く共感したこと
進路実現に最も近道だと感じた(IBは海外の大学入学資格を得ることができます)
日本のカリキュラムへの疑問(詰め込み式、受験のための勉強)→IBの学び方が自分の求めるものだった(ディスカッション中心)
日本教育のレールから外れたかった(中学に入ると高校受験の話、高校に入れば大学受験の話、大学に入れば就職のこと…と流れに飲まれていくことが自分は嫌だった)
がありました。
プログラムを終えた今、私の人生における、自分の選択は間違っていなかったと自信をもって言えます。今目指している大学はIB資格を取得したから受験できるのだと思うし、IBだからこそ得られたスキルがあるし、思考することにたくさん時間を使えたことは幸せなことだと思います。そのため、高校生活全般については、全面的に満足です。
ただ、IBプログラム自体には不満や疑念を感じることもありました。例えば、
教科活動に被る内容はCASにできない(そのため、音楽を選択している私は楽器の練習をCASにできなくて、残念だった)
スコアはお金を出せば再採点してくれる(資本主義ーー😭!)
受験料も、教科書も高い(資本主義ーー😭!)
IB関連ビジネス高すぎ(資本主義ーー😭!)
コロナ中とコロナ後のテスト内容や採点基準がかなり違う(コロナ中のゆるめの基準で高得点とってGap yearとったら、コロナ後の元の基準でスコアがついた受験者のなかで相対的にスコアが高くなるから、不平等じゃん!)→もちろん、それぞれの年でそれぞれ大変なことがあるのは理解しています
採点の解釈が、人による
要求してくるレベルが高い割に説明が雑(特に音楽)
課題も、かなりそれぞれの解釈に任せられる部分がある(音楽)
見本と実際の採点のギャップ(IB側が出している海外の人の高得点を取った人の見本をみると「こんなもんか」と思うけど、実際の評価は厳しい。なんで?)
全体的に、IBが「答えのない問い」を扱っているところに難しさが出ていると思います。それがIBの良さなのですが、それを「評価する」というところで矛盾がうまれているのでしょうか…フィードバックという意味の「評価」は必要だと思うのですが、それでスコアをつけて、それで受験しなければいけないところが、よくないのかもしれません。
これらはすべて私の本心からの意見というわけではありませんが、IBの「ちょっとな…」と思ったポイントを中心にまとめてみました。
そんなわけで、IB教育も完璧とは言えないと思います。でも、私は日本がIBに限らず既存の教育とは異なるプログラムや、国際的なカリキュラムを取り入れようとしていることに希望を感じます。
国内の教育に多様な選択があることはとても良いことだと思いますし、自分は日本の公教育とIB教育両方を受けたことで、より自分の経験をどうこれからの未来(日本の未来含む)にいかすことができるか考えるようになりました。
以前、IB校を増やす方針が出ていましたがどうなっているのでしょうか?今のところ多大な資金が必要なIB校ですので、ぜひともこの存在の必要性を知っていただいて、教育委員会には予算を割いていただきたいです。
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