[消極的交換日記]スクワット⇄桜桃忌まで
これを書いていたら急に風が出てきました。田舎なのでだいたい風が強い。いつもカーテンに左頬をはたかれている。
暑かったので丁度よかったのですが、網戸がぶっ壊れてる(養生テープ貼って耐え忍んでいる)のでほどほどのところでやめてほしいです。
以前、壁一面に貼っていた演劇チラシ(以前エッセイらしきものを書いた気がする)が強風でぜんぶ吹っ飛んだことがあります。どうせならと某記事も貼っとくことにします。
内容は、憶えてないがたぶん、無い、、、。
某記事↓
🌾2人の自己紹介🌾
名付けた張本人すらどこらへんが『消極的』なのかわからないのですが、互いの会話に関わりにいかないところ(それでも努力はしている)が消極的なのでは?と思い始めています。
交換する意味?それはね、一人だと〆切が存在しないから書かないので……………(ニッコリ
それでは今回も4往復、はじまりはじまり~。
前回はコチラ↓
▶︎荒見さんへ
ね子です。
バイトが再開したけど足腰が弱りに弱っているためたった4時間でも筋肉痛になってしまいました。痛い。人間何もしないとやっぱり弱っていくんだなと実感しました。スクワットとかしてたのにな…効果ないのかな…。
最近はとても前向きに生きています。一時期は死にかけてましたがなんとか持ち越しました。よかったけどまた死にたくなるんだろうな〜と思うと少し暗い気持ちになります。まぁそうなったらそのとき考えよーっと。
靴下が苦手という謎の苦手意識があります。なんとなく苦手。足には開放感が欲しい。寝る時とかに靴下履いてる人見るとよく履けるな…とびっくりしてしまいます。というか靴下って言うけど靴上だよな…。
▷ね子さんへ
荒見です。
今年初、冷房をつけました。そういやバカみたいに暑い地域なのに、3回しか冷房をつけなかった年があった気がする。エアコンを買い換えてからは流石に(?)こまめにつけるようになりました。
ま、暑さに強いというのもあるのですが、反対に寒さにはめっぽう弱いです。冬場寝るときたまに靴下履く。でも血行が悪いのでどれだけ厚着しても寒いことには変わりないのよ。タイツの400デニールと素足の寒さは同じ(そんなことない)。
冷房に負けるので普段からカットソーが着られません。カットソーは首の防御力ゼロなので耳の辺りから死んでく。
ホーム(🔥)と電車内(🧊)の温度差でよくブチ切れそうになるので、日本もバチカン市国くらいのサイズになって、ぜんぶドームで覆われる感じにならないかな。全屋内、からの海水温度大上昇。まだ宇宙服のほうが現実味があるか。
最近うまくいかないことが多いから、冷水の旨さに、それだけで泣きそうになった。
幸福が続くのはある意味不幸だと思っている。ちょこちょこ不幸も無いと、幸福かどうかわからなくなってしまう愚かな奴なのだ。胃酸ってわりと甘いよね(バカ)。
薬を飲まないと生きていけないのに、薬を飲むと眠気で起きていられないこの矛盾。
そろそろ辞めざるを得ないかもしれないな、この社会ごと。
▶︎荒見さんへ
ね子です。
心療内科に通っておりカウンセリングも受けているのですがどうも自分の話をするのが苦手。考えてることを話すのは好きだけど自分自身の話はできればしたくない。人間は人を理解するという行為はできないと考えているからというのもあるだろうけど。というか自分の過去をできれば思い出したくないので掘り返されるとモヤモヤしてしまいます。自分のこと喋れる人羨ましいなぁとは少し思います。
好きな音楽がボカロなので人とカラオケに行くのが苦手です。ボカロばっかりだとなんか思われそうと思ってしまう。好きなバンドもいくつかありますが全員男性ボーカルなので歌いにくい。結論:人とカラオケに行くのが苦手
苦手なものをいくつか挙げましたがこれも苦手というのが悪口なのですが、そのことで母と口論になったことがあるのでとてつもなく苦手です。怖い〜
▷ね子さんへ
荒見です。
今日は寝っ転がる、椅子に座る(ギリ)、あたりめ噛む、の3つをしました。それでも昨日ひと月ぶりにテレビ(アニポケと有吉の壁)を観ることができた。進歩進歩。
どこかで読んだ話。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えるレイプ被害者のうち①過去の体験を話させた(曝露療法というもの)グループ、②無理に話させないで別の治療を行ったグループの2つに分かれた。その後10年以内の自殺率は①のほうがグンと上だったらしい。
言うなれば、曝露療法が一般的だったのに、この実験では人に話したことで逆に恐怖体験を思い出して自殺しちゃった、というわけ。
(※なにかの本で読んだんですが、間違ってる箇所があるかもしれない。医療文献検索したけど出てこなかったから信憑性薄いですスンマセン)
ヤなことを話すのはスッキリするけど、ヤな過去の自分とは一生向き合いたくないよね!!というより自分とは現在の自分とも向き合いたくないけどね!!!
私とて過去を思い出したら罪と罰と恥(ドストエフスキーより増えたね)に苛まれて轢死してまう。ペシャンコ。
私は椎名林檎さんの曲が好きで、彼女は去年初めてベストアルバムを出したのだけど、昔の曲は恥ずかしくて聴けない(云々)という趣旨のことを話していた。過去の曲も最高ですけど!?!、?!?と思わず叫びたくなったけど、そういう言葉をかけられたい訳じゃないんだろうな。
自分は好きになれなくても、誰かが好きでいてくれる過去があるかもしれない。
画面の向こう側の誰か(推しとか)に救われたこと何度もあるでしょ?
そんなふうに、いつかね子さんの文章で救われる存在が現れるかもしれないし、もしかしたらもう居るかもしれない。少なくとも、ひとり(私)は確実に、救ってるよ。
コレもいつか読み返したら、負の遺産だ、恥だ、消そうか、なんて互いに思うかもしれないけど、誰かが読んで長い長い人生の暇を潰してくれるなら、もうそれでいいんじゃないのかな。
昔のほうがよかった、なんてむしろ言われるくらい、ゆるく長く続けていこうじゃないか。
☔️小休止(折り返し地点)☔️
▶︎荒見さんへ
ね子です。
最近はバイトも始まったおかげで毎日元気に過ごしています。ただ時間がないため本は読めていません。吸収するものがなくなってきたため排出するものが少ない。レポートを書くのが少し大変になってきました。でももう折り返し地点なのでまぁいいかと過ごしています。
課題を出されるだけの授業はちゃんと身に付くのか少し疑問です。ただこなすだけでは意味がないのでは?と思っている部分があります。まぁ仕方ないですが仕方ないで片付けていいのかも少し疑問ですね。
やっと人と会う生活を取り戻したため精神が安定してきました。人と合わないことがこんなにも苦痛になるのかと自分でも驚きましたが会えるようになったのでチャラです。でも2ヶ月は長すぎましたね〜。まぁこれも仕方がないのでまた緊急事態宣言が出されないことを願います(難しそう)
▷ね子さんへ
荒見です。
部屋着という概念を知らないまま大きくなったため、家にいるときとお出かけするときの服は特に変わりません。
ギラついた服を好んで着るため、何でもない日の服装を親族に「街コン?」と言われました。確かに結婚式(招待される側)なら余裕で行けそうな感じだけれども。
こないだ、TOKYOに引っ越した友人宅に泊まりに行きました。
自分はとにかく「なんかしなきゃいけない呪い」に取り憑かれているので、ひとりではまず存在しない"実質なにもしてない時間"が、親しい人と居るだけでこんなにも満たされるものなのかと感激した。だから多くの人らは血縁の人間以外と生活を共にしたがるのか!(言い方がヘン)
ダラダラ喋って、マンガ読んで、寝て食べて、昼前に起きて、お買物して(実は本以外の買い物がヘタ)、TOKYOのデカい本屋に寄って帰った。
小劇場オタクなのでもともと外出することが多く、その一瞬一瞬に幸福を感じることは特にはなかったのだけど、雨の中傘もささずに十数冊入った本屋の紙袋を抱え、無駄に豪華な服を着て、賑やかな人混みをひとりかき分け駅に向かう自分は、紛れもなく「自分」だなと感じた。TOKYOは思った以上に普通で、ちょっと感慨深かった。
相変わらず感情は戻らない(うつなのでね)けど、わたしは幸せでした。
今を生き延びて、ゆるやかに時が進んでいくことを願っている。
▶︎荒見さんへ
ね子です。
交換日記もかなりやっていますが私はメモに日記を書いているためメモもかなり溜まってきました。溜まったといえば課題のせいでクラウド内のデータが増えてしまいもうすぐ保存できなくなるという事態になりそうです。こりゃ困ったな〜と悩んでいるのですが消すのもなんかもったいないのでなんとなく溜めたままにしています。もうすぐだめだよと通知が来ている段階なので困っています。
正装が大好きなのですがこれを言うとえ、何言ってんの?みたいな顔をされます。スーツを見るとうわぁ!!!!!とテンションが上がる。学生服も大好きなので高校は服装自由だったおかげで何個か制服を揃えて着てテンションを上げていました。これからも私は正装の良さを推していきたいです。
何かの待ち時間などじっとしていられないのでいつもは本を読んで過ごしているのですが本を忘れると携帯をいじりながらソワソワしてしまいます。周りに被害がないので(多分)特に気にしていませんが気になる人が出てきたらなおそうと思ってます。どうやって直すのかは知らんけど。
▷ね子さんへ
荒見です。
免許とりたてホヤホヤなので、運転はまだまだ『電車でGO!』の気分でしてます。車運転体験。まだ日常ではないな。
さて、ここ暫く体調もすこぶる悪く、はたまた多方面でにっちもさっちも行かなくなり、こりゃもう死ぬしかない。そう思って着々と準備を進めていたのです(外堀から埋めていくタイプなので、それはそれは念入りに)。
でも、やめた。今んとこやめた。
この一瞬の絶望を自分でどうにかできるのだと感じることができたからやめた。
キッカケなんて無いようなもんだけど、その少しの引っ掛かりから、その夜の空気から、もう少しだけ猶予を貰おうと思った。
馴染めない平日と、なんもできない休日と、自意識にまみれた自分がまた朝・昼・夜、やってくる。それでも、死ななきゃ時間は過ぎていくんだとわかった。
気付いたら、何ヶ月も先だった誕生日が、すぐそこまで来てた。
去年のケーキの味は忘れたから、また、今年は誰かと食おう。目の前に誰も居なくたって、相手がその場にいなくたっていいから、誰かと食おう。うんと冷えたのがいい。
『死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目(しまめ)が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。』(葉/太宰治)
「葉」本文:[青空文庫]より
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