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いつのまにかすし

自己紹介します
自己紹介って過去を振り返り
その過去から、こんな人だよって知ってもらうことですよね

名前


お日さまの下に育つ、菜っ葉のように大きく育て
で、「ひなた」。
大きくって決して見た目だけではないと思ってる、だってちっさいもん私。
でも、すでに赤ちゃんの頃から、今まで、
たくさんごはんを食べて、のびのび寝て、たくさん本を読んで、
こんな長い時間生きてこれているので、
名前を全うできています。大好きな名前です。
ありがとう、お母さんお父さん

昔から根っこの部分は何も変わっていない

小学校入るまで(根っこの性格)


この世のものが何でも楽しかった
散歩と絵本は毎日
車が何キロ出すとか、その場所がどんな名前付けられてるとか、
絵本に何が書いてあるかとか
最初は何にも分からなかったけど、それでも面白かった。

カラスとおしゃべりしてたり、つくし摘んだり、
花の蜜吸ったり、階段上りまくったり、
なんでもかんでもお友達だと思ってた。

と同時に、分からないこと多すぎて、こわがりだった。
矛盾だけど、思いもよらない方飛んでくるセミとか、
みんな買い物行っちゃってお昼寝から目覚めたら誰もいなくなってた広い家の中とか、なんか大きい声で指摘してくるおばちゃんとか、
急に注目浴びるとか、
そんなことは心がひゅんとなるから苦手だった。

でも、弟が二人生まれて、ちょっとだけ強くなったりした

小学生~中学生(いつのまにかすし)


気づいたらおすしが好きになっていた。
家庭科でつくるエプロンには、布ですしを貼り付けて
技術の時間につくるテープカッターは、木をすしの形にカットして
味だけじゃない、おすしの形、色をとにかく気に入っていた。

そんな変な自分が、全然好きだった。

体育以外、勉強も音楽もおえかきもだーいすきだった。
だから結構自信満々で、新しい世界に入ることも引き続き大好きだった。

高校生(広い世界を知った蛙)


勉強が嫌いになった、おすし大好きなことを忘れた。
何のための勉強か分からなくなった。
ただ、世界が広がる地理だけは好きだった。
自信がなくなった代わりに、友だちと出会った、地元に少し興味を持った。
この社会にあるどうしようもなく膨れ上がった、
傷つけあう紛争の問題とか、ご飯食べられない人が増えてしまう問題とか、
そんな大きな問題を解決しなければならないという、使命感に襲われた、、?
というより、それを考えている自分かっこいいで終わっていた気がする。
(小さいんです、基本、自分の世界が)

だから、大学は落ちました
確固とした自分がなくなったんです。
たくさん見たい世界は広がったかもしれないけれど、
同時に自分を失っていった。
自分の人生の壁にぶち当たることが、極度に怖かった。

何が何だか分からない大学生活


そんな状態で、ろくに自分を振り返りもしないから
どんどん渦にはまっていきました。
おすしはずっと好きだけど、おいしいおすしを食べれていればいいやという感じ。
おすしは単なる趣味だったから。

また、すごいことしようとして
ボランティアサークルの代表してみたり、
コンポストに足を踏み入れてみたり、
とにかく大きな社会問題にぶち当たりにいって、
ことごとく散った。
散った=自分の存在意義が分からなくなった
あれ、自分って何がしたくてこれしてるんだっけ
と分からなくなることが増えた。

挫折の繰り返し、生きているのが大変、はあ、つかれた、ばっかり

全然頑張ってないのに、疲れる。
何もできていないのに、疲れる。

でも、おすしは食べたい。

私の人生は何に縛られているんだ。
何のために時間を使って、何のために生きているんだ。

アンパンマンの主題歌が頭を駆け巡った。

自分には新しい考え方が必要だった。
この渦から誰か引っ張り出してくれ、そんな気持ちだった。

出会った、つながった大学3年生の春

神様は居るもんです。
つながりました。
彼らは目をキラキラさせて、失敗を恐れるな、挑戦していけー!って
まるで何でもできるみたいにひらひら舞ってた(ように見えた)。
涙が出た。
ワクワクな世界が広がっていた。
くるくるカラフルで紙をいっぱいにして、
日本全国にやりたいことがいっぱいあって、そんな地図見せられたら、
私が知らない世界がまだまだたくさんあって、
あの頃のちいさな自分が、帰ってきた気がした。

頑張って大人になろうとしてたけど、引き返してきた。
塵になりそうな、こびとが。

だから、おすしが大好きなことも思い出した。
と同時に、おすしの研究も始めた。
おすしの歴史をさかのぼり、なぜ私がおすしに魅せられたのかを知ることにした。

おすしがもっと好きになった今

山で、タンパク質が少ない、いつも同じものを食べるしかなかった人たちが、
祝いのときだけは、大事にとっておいた海からの幸をちょっとずつ口にした。

おなかすいても頑張って働き、質素な暮らしをしていた人たちが、
祭りの時、
その時だけはと、豪華にたくさん地元のありったけの
食材を、つやつやのごはんに載せた。

一生懸命働いて、汗水たらして、働いて、
そんな合間に、力をつけるために、
葉っぱで巻いた「すし」を食べるものもいた。
やがて、おいしい魚をよりおいしく食べてほしい、
何かのごほうびに、ありったけのおいしいを食べてほしいと
すしを生業にする職人が増えてきた。

そうやって、おすしは愛され続けてきた。

おすしは人の心と体をいっぱいにする。

そして、そのおすしは地域によって本当に個性があって、
それにはたくさんの人の知恵と技術と味が積み重ねられていて、
人を喜ばせてきた。

この歴史に私は感動している。

おいしいをよりおいしく
目の前の人と、一つの食材に、全力で向き合う
口の中と、目と鼻と、耳と、すべてで感じ取る。
この体験は、人だからできる。
そして、ひとつひとつに込められた愛を知ったら、
何を考えずとも、渾身の「ごちそうさまでした」が染み出る。
そして、その感動をありがとうと、受け取り、
「ありがとう」と持てるだけの愛で、恩を送る。
それで、受け取ったものを、また誰かに伝えるねと
恩が巡っていく。

愛を受け取り、愛を渡す、そして、また愛を受け取る。
それを実感できたら、
人は少し、人に優しくなれる気がするし、
その時間があったら、
人は、心に考える余裕ができる。
この余裕は心の温度を5度くらい上げる。
温泉で、ふわあっと気持ち良くなるみたいに。


おすしに想いを馳せ、おすしが今までつないできた愛と幸せを、
ちゃんと受け渡し続けていきたいというところで
今である。

じゃあ、ここからは、
丁寧に自分のおすしを追求し、おすしで愛を感じる時間をつくっていかなければ。

次のnoteにつづく。

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