雑感 I
ストラスブール・サンドニ(STRASBOURG SAINT-DENIS)。フランス、パリに位置するメトロの駅や周辺地域を指す名前。日本では「花の都」などと呼ばれるこの都市の一角であるから、さぞかし華やかで美しく、おしゃれな街並みが広がっているのだろう。
Strasbourg-St.Denis - Roy Hargrove
かの実力派ジャズトランペッター、ロイ・ハーグローヴはこの街を訪ねたことがあるのだろうか。彼がこの世に遺した「ストラスブール/サン・ドニ」(STRASBOURG / ST.DENIS)という曲は、2022年現在、リリースから僅か14年しか経っていないにも関わらず、もはやセッションの定番として多くの人に知られている名曲である。この曲は同名の地域の風景を写実的に描いたものであるのか、はたまた彼の空想上のパリを描いた音楽であるのか。もしも後者であるとすれば、彼が描く「空想上のパリ」の風景の表現から、私がまた別の『空想上のパリ』を思い浮かべている、ということになる。…一体何が言いたいのやら、うまく言語化することはできないが、なにか不思議なときめきを感じるのだ。だからロイがパリの風景を知らないということに期待する。おそらくは、彼と私の間にある「知らない」という共通点に心を躍らせているのだと思う。(そんなものは、あってないような共通点だが。)ロイはどんな風景を思い浮かべてこの曲をつくったのだろう。私自身はこの曲を聴くとパリの夜風に吹かれているかのような錯覚に陥るのだ。現地に赴いたことがあるわけでもないのに。
…などというのは過去の私が巡らせていた空想である。実際のところ、どうやらロイはニューモーニング(パリのジャズクラブ)で積極的に活動していたらしいから、彼が実際のストラスブール/サン・ドニ界隈をよく知っていたことは間違いない。(ニューモーニングからストラスブール・サンドニ駅までは、実に徒歩十分圏内である。)しかもストラスブール/サン・ドニという街は、私が思いを馳せた「花の都 パリ」というイメージとはまるきり違っていた。「世界で最もクールな地区」などと謳われ、移民が多く、多文化が混じり合う、人種のるつぼ。それがこの街のリアルであった。しかもこの曲は当時ロイが付き合っていたガールフレンドへ向けたラヴソングであったらしい。そんなエピソードを聞けば途端に、クールで土着的な音楽に聴こえてくるものだ。サックスとトランペットのこだまのような掛け合いは恋人たちの会話というわけだ。洗練されたサウンドは、ストラスブール/サン・ドニが、それでも地理上はパリに位置しているということを示唆するものであろうか。当初私が持っていた「パリの夜風に吹かれる」なんていうイメージは見当はずれのものであり、憧れが打ち砕かれたかのような気さえするが(あるいは、失恋でもしたような気分でもあるが)、混沌とした街で、ある一人の男がガールフレンドに向けて作ったプライベートな音楽、という情景の方がずっとこの音楽に合う。出だしのベースラインなんかは特に、「おしゃれな街、パリ」ではなく、「クールな地区、ストラスブール/サン・ドニ」にしか聴こえなくなってくるものだ。
今日、この瞬間、ストラスブール/サン・ドニではどんな音楽が流れているのだろう。都会的で洗練された音楽か、土着的な音楽か、それとも…